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「知は力なり」
経験論の祖であるイギリスの思想家ベーコンの言葉。ベーコンは、個々の経験的事実から一般的法則を導き出す帰納法こそが、新しい学問の方法であると考えます。そして、帰納法によって得られる知識は、人間が自然を支配する力になると考えて、「知は力なり」と言いました。
#一日一倫理
「人間は社会的(ポリス的)動物である」
アリストテレスが著書『政治学』において人間を定義して述べた言葉。人間はその本性によって共同体を形成します。魂(プシュケー)にそなわる徳(アレテー)を完成させ、最高善を実現するには、国家(ポリス)が不可欠なのです。
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「満足した豚であるよりは、不満足な人間である方がよく、満足した愚か者であるよりは、不満足なソクラテスである方がよい」
イギリスの哲学者ミルの言葉。ベンサムから功利主義を引き継いだベンサムは、人間の尊厳には物質的快楽よりも質的に高い精神的快楽がふさわしいと説きました。
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「真心とは善くも悪しくも生まれつきたるままの心をいふなり」
国学の大成者である本居宣長の言葉。国学とは、儒教や仏教が伝来する以前の日本固有の精神(やまとごころ)を探究する学問。本居宣長は、好きなものを好きと言う偽りのない素直な真心こそが、本来の心であると考えました。
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「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない」
言語哲学者ウィトゲンシュタインが、前期の主著『論理哲学論考』の結びに記した言葉。現実の事象に対応するもののない、神・道徳といった抽象的な観念について語る哲学の誤りについて指摘しました。
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「汝自身を知れ」
ソクラテスが座右の銘とした、アポロン神殿の柱に刻まれた標語。この標語と、「ソクラテス以上の知者なし」というデルフォイの神託を手がかりに、ソクラテスは「無知の知」という真理探究の出発点を見出します。無知の自覚なしに何も始まりません。
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〈人間とは「世の中」であるとともにその世の中における「人」である〉
和辻哲郎が『倫理学』に記した言葉。和辻は人間存在を他者との関係においてある間柄的存在として捉えました。「人間の学」と規定した倫理学は、個人から出発する西洋近代思想に対する異議申立てでもありました
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「良識はこの世で最も平等に配分されている」
デカルトが『方法序説』に記した言葉。物事を正しく認識し、真偽を判定する能力という意味で、デカルトは理性を良識(ボン・サンス)と呼びました。私たちは本性として等しく理性をもつ、それが近代の人間観です。
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「人はみな有用の用を知るも、無用の用を知るなきなり」
『荘子』人間世篇にある言葉。万物が道にしたがって生成変化するのならば、そこに価値の違いなどないはずです。荘子は、善悪や美醜といった人為的な分別を斥けます。人間による有用・無用の判断に、道のもとで意味などないのです。
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「わが上なる星の輝く空と わが内なる道徳法則」
批判哲学を展開したカントが、著書『実践理性批判』の結びに記した言葉。現象界は必然的な自然法則が支配していますが、英知界では、自由な主体である人格が、おのれの理性によって道徳法則を打ち立てるのです。
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「世界史は自由の意識の進歩である」
ドイツ観念論を完成させたヘーゲルが『歴史哲学』に記した言葉。ヘーゲルは、理性的な絶対精神が自らの本質である自由を実現するために世界を動かす原動力となっていると考えました。その理性的な運動の論理が弁証法です。
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「使命感とは、自分が生きていることに対する責任感であり、人生においてほかならぬ自分が果たすべき役割があるという自覚である」
ハンセン病患者の心のケアに努めた精神医学者・神谷美恵子が、著書『生きがいについて』に記した言葉。生きがいは精神的な充足によって得られるものです。
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「人間は自由の刑に処せられている」
実存主義の思想家サルトルの言葉。人間は、自己の本質を自らの決断と行動により規定することのできる、自由な存在です。しかし、徹底的に自由であるということは、自らが選んだ行為に対して全ての責任を負わなければならないということでもあります。
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「私は師プラトンを愛する。しかし、師にもまして真理を愛する」
アリストテレスの言葉。プラトンが現実の世界から離れて永遠不変の真の実在(イデア)を探究したのに対し、アリストテレスは現実の個物のうちにそのものの本質はあると考え、師匠の理想主義を超えていきました。#一日一倫理
「私には愛する二つのJがある。その一つはイエス(Jesus)であって、その他のものは日本(Japan)である」
近代日本を代表するキリスト者である内村鑑三の言葉。拝金主義に冒されたアメリカ社会に失望した内村は、道徳を重んじる日本こそキリスト教の精神が根づく国であると確信しました。
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「自然は人間を苦痛と快楽という二つの主権者の支配の下に置いてきた」
功利主義の確立者ベンサムの言葉。快楽や幸福を増大させる行為は善、苦痛や不幸をもたらす行為は悪とみなす功利の原理の根幹には、生き物としての人間が快楽と苦痛に支配されているという自然的事実がありました。
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「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」
『新約聖書』「マルコによる福音書」にあるイエスの言葉。神による天地創造にならい、労働を禁じられた安息日に、空腹から麦の穂を積み始めた弟子たちを批判するパリサイ派の人たちに、イエスはこう言いました。
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「悪性さらにやめがたし。心は蛇蝎のごとくなり。修善も雑毒なるゆえに、虚仮の行とぞ名づけたる」
一向宗(浄土真宗)の開祖である親鸞の言葉。親鸞の思想の根幹には、誰もが煩悩に囚われた悪人であるという人の見方があります。悪なる本性は蛇蝎のように絡まり、逃れられないのです。
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「悪に対抗して結局これを拡大させるような復讐よりも、いっそう積極的かつ現実的なる闘争を」
インド独立運動の指導者ガンディーの言葉です。真理は正しい手段によって実現されなければならない。この信念に基づいてガンディーがとった闘争の方法は、「非暴力・不服従」でした。
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「ク・セ・ジュ?(私は何を知るか?)」
16世紀フランスのモラリストであるモンテーニュが、著書『エセー(随想録)』に記した言葉。人間の理性は不完全なものです。だからこそ、傲慢を戒め、断定を差し控える必要があります。より深い真理探究へと促す、自分への問いかけの言葉です。
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