この手の「指差し」のポーズは、ダ・ヴィンチが繰り返し、継続して描いてきたもの。『岩窟の聖母』→『最後の晩餐』→『聖アンナと聖母子・下絵』と、それが水平方向→垂直方向→左手→右手と変遷はあるが、その形は変わらない。ダ・ヴィンチにとって、ずっと心を捉えていたものだったのだろう。

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「岩窟の聖母」と「オスカー・ワイルド」

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ディーキー、岩窟の聖母だったわ

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ダ・ヴィンチの岩窟の聖母は似た構図が2つある
教会の依頼で描いた一枚目の岩窟の聖母は教会の怒りをかって描き直すことに、二枚目の岩窟の聖母は弟子が描き一ヶ所だけダ・ヴィンチが筆を入れた。これを期に彼は作品に秘密を隠すようになる

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つづき。まず先駆的なミーノ=ダ=フィエゾレによる1466年頃の彫像。次に言わずと知れたレオナルド=ダ=ヴィンチの『岩窟の聖母』。次がペルジーノの作。最後にその弟子ラファエロの『牧場の聖母』(二人のポーズは大分変わっているが)。つづく。

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