【50】「もしあいつがナイフこう持ったらマジだから、もうそうなったら殺す気で反撃しろ」とジェフは言い残していった。「おれはロドリゲスの仲間になったから、おまえらの味方はできないからな」

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【49】昼休み直前、ジェフにトイレに呼ばれて、注意された。「スペイシーがおまえを刺すって言ってる。マジだと思う。悪いこと言わないから謝れ」と告げられた。もちろんそうするつもりだった。拳で人を殴ったこともないぼくに、ほかに方法なんてなかった。

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【48】そのうちに「スペイシーたちをぶっつぶそう」みたいな話になって、クラスの男子の喧嘩自慢が団結し始めた。そのことが六年生の耳に入り、スペイシーは「あのジャップがおれの首を狙ってる」と言い出し、校内は一触即発の状態に突入した。

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【47】それまで幸い本格的な喧嘩には巻き込まれてこなかったが、ジェフと友達だったせいか、いつの間にか「あいつは空手ができる」みたいな根も葉もないデタラメが浸透していて、都合が良かったのでぼくも否定していなかったために、クラスでもそう信じられていた。

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【45】リンとクラスの女子数人が止めに入ってくれたが、スペイシーはリンも泥水に放り込んだ。やっと女子の一人が先生を連れてきてぼくは医務室に運ばれた。そのままその日は家に帰ることになったが、親にはタイヤ跳びから落ちたと話した。それもルールのひとつだった。

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【44】タイヤ跳びは女子はやってもよかったが、男子は六年生の縄張りとされていた。そこにぼくが踏み込んだので、いきなりロドリゲスの子分で六年生のスペイシーに放り投げられた。泥水の中に落下したぼくをスペイシーは何か叫びながら蹴りまくった。

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【43】一年の大半が過ぎた頃、ぼくはきっと少し調子に乗っていたのだと思う。――やってはいけないことをやってしまった。前述の美少女のリンたちがタイヤ跳びで遊んでいて、「一緒に遊ばないか」と誘われて、喜んでジェフに注意されたことを忘れてしまった。

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【41】「日本人か?」と聞かれて驚いた。何しろ基地の中では日本語を聞くことはまずなかった。向こうも同じらしく、互いに日本語で話せるのが楽しかった。それでおじさんがこっそりラーメンを食べさせてくれるようになって、そのラーメンを友達と分けて食べた。

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【39】皮肉にもジェフが不良グループに入ったため、ジェフと仲が良かったぼくの地位は校内で一気に上がった。それで上級生とも遊べるようになって、昼休みに屋上に登ったり、スケートボードを貸してもらったりするようになった。中でも楽しかったのはラーメンの屋台だ。

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【38】ジェフはそのあとも荒れて、不良グループに入っていった。段々話さなくなったが、それでもたまに昼休み、一緒に遊んだ。いつもカップヌードルはサッカーのボールにしていたので、ジェフが何を食べていたのかをぼくは知らない。ただ、前のように笑わなくなっていた。

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【37】そんなジェフは初めて見たので驚いた。あとになって聞いた噂では、ジェフは父親の連れ子で義母からずいぶん虐げられていたらしい。どのくらい本当かは分からないが、結構ひどい噂だった。ジェフだけが最初に声をかけてくれた理由がその頃になって分かった気がした。

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【36】食堂のテーブルをひっくり返して、ジェフは医務室に連れて行かれた。三日の謹慎処分になったジェフの見舞いに医務室に行くと、ジェフはまだ泣いていた。「おまえのお袋は弁当作ってくれていいな。うらやましいな」ジェフはそう言っていつまでもぐすぐす泣いていた。

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【35】そんなジェフがある日、急に食堂で泣き出した。いきなりカップヌードルを壁にたたきつけて叫んだのだ。「あのクソビッチが! いつも同じもん入れやがって!」そう言って、泣きながらヌードルの箱を踏みつぶした。「おれのことなんか愛してないんだ!」

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【34】もっとも「回転トルネード投げ」は徐々に標準化し、クラスの王座は一月天下となったが、それでもかまわなかった。その頃にはもうクラスの誰もがぼくのことを「テディー」と呼んでくれるようになっていた。ジェフが言っていた通りだった。仲間は名前で呼ぶのだ。

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【33】「サムライ投げ」とか「ニンジャ投げ」と命名されたその投げ方をぼくはクラスの男子にだけ伝授した。そのことでうちのクラスは一躍「4スクエア」の無冠の帝王となり、ぼくはしばらくの間「4スクエアの王」として名を馳せた。

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【32】ぼくの日本の小学校ではこのゲームは「水爆」という名前で以前から流行っていた。技も研究され尽くしていて、究極奥義「回転トルネード投げ」を男子は全員身につけていた。初心者だらけのペリースクールでいきなり披露した「回転トルネード投げ」は衝撃を起こした。

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【31】でも、ここでも日本に助けられる。当時ペリースクールで昼休みに流行し始めていたのが「4スクエア」というボールゲーム。アスファルトにチョークで「田」の字を書き、それぞれの枠に一人が入って、互いの枠にボールをワンバウンドさせる遊びだ。

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【29】このおかげでぼくはクラスの中で認められ、徐々にクラスに友達が増えていった。おとなしめのギークのスウェイジーや、コリアンの美少女のリン、それに銃器マニアのスティーブなど、なんともいえないメンバーだったが、それでもクラスに馴染めてほっとしていた。

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【28】しかもあまりちゃんと訳せなかったので、半分ぐらい創作した。この「翻訳漫画」が学校中で話題となり、昼休みにチャンピオンの山に人が群がるようになった。途中からは職員室のコピー機で十部くらいコピーして、学校で回し読みをするようになっていた。

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【27】友達を増やすためにどうしたらいいか考えて、日本の漫画を翻訳することを思いついた。当時一番人気だった「週刊チャンピオン」をぼくも買っていたが、日本語が読める子はクラスにいない。だからチャンピオンの人気漫画のコマを修正液で塗りつぶして、英語で書いた。

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