刀ミュ陸奥一蓮好きなシーン写経🖋️

江水で「もしも」の歴史が行き着く先を見てきた大包平が、それでも田村麻呂が一度飲み込んだ「もしも」を聞き届けて、それを笑うでも否定するでもなくただ覚えていると言ってくれたのが本当に好きで……人の心とその道行きを見届ける強く美しい刀だった……

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古慈斐は壬申の功臣の子孫だし不比等にも才を認められてたそうで、大伴氏の中では有力な人だったんですけどこの後奈良麻呂の乱にも連坐して土佐に配流、復帰は光仁朝。長生きしてよかったねって感じです。この人ほぼ真備と同世代で更に真備より長生きですね。とどめ刺さないと死なない大伴氏すご。

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先日の歴史探偵で橘氏の勢力圏として井手町が出てきましたが、まさにそこにあったとされる橘諸兄の別業への聖武天皇の行幸です。奈良麻呂初出かな。まだかなり若いと思います。この辺り橘氏全盛期といえるかもしれませんね。ちなみにこの年に藤原広嗣の乱が勃発します。

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大伴安麻呂、大伴御行の後に大伴氏氏上となり大納言まで昇った人物です(旅人のチッチ)。長徳六男とありますが上の兄弟が案の定ふわふわしてますね。御行がすぐ上ぐらいかなと思うけど実際わからない。
個人的にずっと、不比等は安麻呂嫌っていただろうという確信がある…。

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丸い存在感! 麻呂眉を描いたイラスト特集 | pixivision https://t.co/tVvx9OLp50
ピクシビジョンさまの特集で、黒星紅白先生のお誕生日に描いたロロ星ちゃんを掲載していただきました!ありがとうございます!

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「子麻呂」というと今やすっかり倫子様のネコチャンになってしまったけど、歴史上二大子麻呂は蘇我入鹿をぴえんした佐伯子麻呂と、藤原仲麻呂の乱が起きた際孝謙上皇側で先回りして勢多橋を焼いて東国への道を遮断した功労者の日下部子麻呂さん。

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『人丸神社』
住所→ 〒327-0001 栃木県佐野市小中町1061

祀神︰柿本人麻呂

御朱印:あり
駐車場:あり

備考:
・創建は、元慶元年(877年)に石見国の高津柿本神社より勧請したとされる。

・祀られているのは、『万葉集』でも御馴染みの歌聖・柿本人麻呂。… https://t.co/8zDeGpSE6b

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聖闘士星矢、アッチョンブリケ‼️
間違えました…アッペンデックスの貴鬼‼️
麻呂眉を受け継ぎし者‼️
こういうキャラの出番が増えると作品に広がりで出るんですが……アンケート至上主義のジャンプでは難しかったですね😅
キン骨マンやイワオ、松尾や田沢や秀麻呂とか……すみません、作品が違いました💦

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二月二十九日に大隅国守の陽侯麻呂が殺され、ここで大伴旅人が征隼人持節大将軍に任命されました!推しのハイライトの一つ!ここから五ヶ月くらいは九州に滞在しておりましたが意外にこの間将軍からの報告とかは無いですね。六月になって元正天皇からの慰労があるけど。
(絵は年齢的に合ってはない)

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ムウの師匠、シオン‼️
麻呂眉でなければ牡羊座の聖闘士になれないのか⁉️
なんて高いハードル‼️
のりピー語が話せればなれる我が蟹座とは格が違う‼️
思わず狼狽える小僧な私💦
あのセリフでぶっ飛ばされそう‼️
「修正してやる‼️」
セリフを間違えました……😅

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紀阿閇麻呂、不破から倭方面へ向かった軍の将の一人で(東道将軍とあり軍のトップ?)、進軍中に倭で大伴吹負が敗けてるのを知って置始菟を急行させて吹負と合流させ、軍を立て直すことが出来ました。阿閇麻呂は壬申の乱の翌々年に亡くなってるので乱の時にはもうそこそこの年齢だったのかも。

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よかったら 父水で
麻呂が起きるまで
募集しますでおじゃ

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太眉→麻呂眉→たくあん眉👍

ラピが太眉でミドリが麻呂眉

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大神(三輪)高市麻呂、壬申の乱では箸陵の戦いで置始菟と共に近江軍と戦ってますよ。
その後持統朝になって持統天皇の伊勢行幸に冠位を賭して諫言したことでも有名ですね。後に藤原麻呂がそのことを漢詩にしてるの面白い。

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真備が唐から『金烏玉兎集』を持ち帰って阿倍仲麻呂の子孫(後に安倍晴明)に与えたことなどから真備が陰陽道の祖とされていたみたいな話、何言ってんの???みたいになったし、私の中の陰陽師が最近は迷走してる。
(って思った時に描いた絵)

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そんな天平勝宝度の遣唐使、大使の藤原清河が阿倍仲麻呂と共に帰国の途次遭難して唐に舞い戻っていることが伝わり、それを迎える為の迎入唐大使使が任命されました。色々あって結局任務果たせない。かわいそうな清河…

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我らが大伴古麻呂といえばこの遣唐使としての唐の朝賀席次争いと鑑真和上来日の貢献だと思うのですが、これだけでも古麻呂の人となりが感じられて良いです。新羅と緊張関係になりつつあった時期なので日本としてもGJ案件だったと思うけど、外交的には色々アウトではある。

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天平勝宝度の遣唐使、第二船の副使大伴古麻呂が鑑真和上を連れて帰国。前年十二月二十日に薩摩国阿多郡秋妻屋浦に漂着してました。
一・二・三船は蘇州より出帆して同時に一度沖縄に漂着してました。そこから運命が別れてしまいましたね。(清河方向チラッチラッ)

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大伴御行、大伴旅人の伯父(大伴安麻呂の兄弟)ですが大伴氏では追贈とはいえ最後の大臣です。
個人的に不比等は安麻呂とは合わなかった気がするけど、御行とは合ってそうな気がしています。
(特に根拠はない)

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