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これぞシーンゼロの醍醐味

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同校パロriis 冬の醍醐味②
マフラーとか貸してあげるやつ

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身長差キャラ並べる醍醐味

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 物販販促第36話
こういうのもライブの醍醐味ですよね
夜からのライブなのに、物販のために何時間も前から並ぶ人もいるとか…
好きって強いなぁ(「彼」も……🥰)

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オフ会の醍醐味は推し絵師のアナログ絵がもらえるところだよなぁ!!!(#696m3_kikaku )

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冬の醍醐味 肉まん餌付けriis

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当時も今もこれが一人旅の醍醐味と思ってる

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しかしそんな覇気も次第に衰え、1339年に52歳で崩御
『太平記』は晩年の後醍醐天皇の心境を「骨は南山(吉野)にうずまったとしても、魂は京都の空を飛び回りたい」と表現
望郷の想いも空しく、稀代の天皇は京に戻ることなく吉野の苔にうずもれた
 

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尊氏の後醍醐天皇愛は兎も角、後醍醐天皇への評価は「批判」から始まっている上、合理主義的な研究を進めるより前に様々なイデオロギーと結び付き複雑化してしまったことで、今度は「肯定」もしづらいというように非常に複雑な背景を持ちます
 

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後醍醐天皇に好意的な意見が出始めるのが、戦後に公職追放された歴史家平泉澄が唱えた「皇国史観」からです
まあ皇国史観自体は極端な天皇至上主義のイデオロギーという厄ネタなんですが、逆に言うとここまで極端な思想に行き着くまで後醍醐を擁護する向きはなかったという
 

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狂信者である尊氏を除くと同時代からかなり批判的な意見が多いことに驚きます
水戸黄門こと徳川光圀が編纂した『大日本史』やそこから派生した尊王攘夷思想に繋がる水戸学は南朝に対して好意的ですが、大体が忠臣楠木正成に対するもので後醍醐帝自体は「悪王」扱いなのも凄い
 

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敵対した尊氏が実は後醍醐天皇を一番慕っていたと言われており、後醍醐天皇の崩御時には天龍寺を建立して大法要も行っている
これは祟り等を恐れての政治的な動きで特別おかしいことではないが、崩御100日目に尊氏が著した上記怪文書…もとい願文を見るに完全にキマッている
 

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「黄金のような君徳」足利尊氏(足利家棟梁)
「君臨すること太陽の如く、我らが仰ぎ見ること雲の如くの王者」足利尊氏(征夷大将軍)
「陛下の穏やかで優しいお言葉が今もなお我の耳の奥から離れず胸が苦しい」足利尊氏(自称後醍醐天皇の弟子)

オイ、怪文書止めろ!!

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くじゅ11/3の小竜と兄者の手合わせで注目を集める「湊川組」は、湊川の戦い(1336)に縁のある太刀3振のことだと思います。

(湊川の戦い 後醍醐天皇側の武将)
・新田義貞:「太平記」では、【鬼丸】と【鬼切】を佩刀して戦ったとされる。
・楠木正成:【小竜景光】を差料としたとの伝説がある。

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そもそも武士への恩賞自体が問題になっている部分もある
後醍醐帝は最初自らの手で全ての北条の土地を再分配しようとしましたが、恩賞欲しさに手柄を盛ったり嘘を吐いたりする武士が多数
例えば日置氏は早くから味方していたとして、書類の日付を書き直してる跡が見つかってる

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天下を朝廷に戻した後醍醐天皇が始めた建武の新政ですが、倒幕時に護良親王が令旨をバラ撒きすぎた反動が早速来る
後醍醐としては天皇の出す命令の綸旨を絶対としたいのに、護良が勝手に恩賞の約束をした令旨が邪魔になったのです
これが護良との軋轢の一つと言われている

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何と後醍醐天皇は配流先の隠岐から脱出
この時出迎えたのが三木一草の名和長高(年)で、海運業を営んでいた彼に因んで「帆掛船」の家紋と「名前が長くて高いのは危ないからこれで長生きしろ」と「年」の字を贈ったという
人心掌握術の高さが感じ取れる逸話です
 

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うあーー!ありがとうございます!何気に高得点ですねw
動植物はかなり色々な種類が登場します!
旅しながら探しのも醍醐味の一つですね!

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Skeb納品しました!ロックマンゼクスのエールさんとアッシュさん、………がロケット団の服を着ている絵です。ニッチな需要に対応するのもリクエストの醍醐味ですね…!

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