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天正11年4月24日 柴田勝家 自刃
賤ヶ岳の敗走から3日後に北ノ庄で切腹。
勝家が利家の居城に立ち寄った逸話は泣けるねー…。親父様…!!ってなる。
『センゴク』のこの辺りの話も泣いた思い出。
しかし…何も考えず勝家を描くとだいたいこんな構図になるな。
#創作戦国
天正11年4月21日
賤ヶ岳の戦いで茂山に布陣していた前田軍が撤退。
その際に殿(しんがり)となった小塚藤右衛門、木村三蔵、富田景勝等5,6人は三度敵勢を突き崩し討死にした。
利家は晩年「此の者らが生きていたら1万石ほど与えていた」とたびたび語っている。
#創作戦国
寛永2年4月19日 富田重政 死去
重政は利家、利長、利常と三代にわたって仕えた中条流の遣い手です。
戸部新十郎作品ではなにかと柳生宗矩に狙われている御仁です。
#創作戦国
今年の主従の日のらくがき。
どの主従を描こうかな~と考えた結果、俺得な組み合わせになった。
一孝も重政も、利長の代で1万石以上の禄高を有する家臣になるんだよなぁ…。
#創作戦国
今日は主従の日ってことで、去年主従の日関連で描いた絵を再掲。
1枚目…信長と利家
2枚目…信長と悪友(万千代、勝三郎、犬千代)
3枚目…利家と長八郎
4枚目…利長と横山長知
#創作戦国