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ステイホーム~家で楽しむ展覧会
《敦煌莫高窟 322窟 菩薩像》平山郁夫 1979年 平山郁夫シルクロード美術館蔵
唐代の壁画には克明で技巧的にも優れた壁画があり、美しさに息をのむ。敦煌は、仏教美術の宝庫であり、奇跡的に多量の壁画や彫刻が今日まで続いてきた。(平山郁夫)
【中国アニメ「大理寺日誌」の配信スタート 唐代の様子を忠実に再現】中国のアニメーション映画「大護法(Da Hu Fa)」(2017年)と同じクリエーターが製作した、漫画家R·Cの作品を原作としたアニメ「大理寺日誌」の配信が10日、動画共有サイト・bilibili(ビリビリ)で始まった。
# フォロワーさんのオリキャラを描かせてください
小辰(@kota_novel)さん宅の李悔先生描かせて頂きました~。
唐代男性30歳ぐらい、書生、筆が武器ということでしたが筆まで手が回らずすみません。とりあえず「武侠ものの優男強キャラポジって言ったらこんな感じ」という私の偏見を詰め込みました。
【歴史メモ】玄奘三蔵
・唐代中国の訳経僧。
・俗名は陳褘。
・629年にインドに向かい、645年に経典や仏像などを持って長安に帰還。
・道昭は唐で玄奘に教えを受けた。
・道昭の弟子とされるのが行基。
3月5日は玄奘の新暦での命日。
法相宗の興福寺では毎年「三蔵会」が行われています。
唐代では治安を維持するため、厳しい夜間外出禁止令が実行されていました。庶民は夜、各坊(現在のコミュニティのような単位)を出たら、笞刑に処されるそうです。夜の巡察をしている金吾衛様はかっこういいですが、法律をちゃんと守りましょう~『大理寺日誌』第37話をご覧ください!
#大理寺日誌
「闘茶」。
日本では産地による「本茶(栂尾)」と「非茶(栂尾以外)」を当てるゲームでしたが、中国では皇帝への献上茶を選ぶための「お茶の優劣を競う大会」つまり品評会から発展した文化で、その歴史は唐代の記述(白居易)まで遡ることができるようです。
思い出した時の1コマお茶マンガ。
【領のはなしの装束ご紹介】(10)明代の団領袍衫 唐代より衿が広くなってまるで円盤であり、大円領とも云われる。胸には刺繍を入れた布(補子)をつけ、この図案と袍の色で官位を示した。(イラストは補子が雑ですみません)
そもそも羅貫中の実在が論じられていることには触れないでおいていただきたい。穿たれて紐に通されて売られていたであろうとりあえず唐代のお茶にイメージを置き換えたらこうなった劉備のお茶事件。
唐代のお茶の煮方を探してみました。失われて久しいということですが、中華圏のネットから映像で見つけた情報をまとめてみます。
4で沸騰したお湯を少し別に取り分けておきます。
7で沸騰を止めるときに、4で取り分けたお湯を入れます。
と、書いてありました。
https://t.co/BRSIwXRcOI
お茶の変遷。唐代は「煮」ます。宋代の記録では「点て」ます。この時代の作法が日本に来たので、日本では「お茶を点てる」のですね〜。そして明清になると「散茶」という、今の茶葉の形式になったことで「泡」になってくると、調べ当たりました。