長らく子を授からなかったにも関わらず1347年に妊娠して長男如意丸を出産
どれだけ若く見積もっても40代には到達していた筈なので、これもまた当時にしては相当に異例の高齢出産である
ただ時期としては正に観応の擾乱が巻き起こる頃であり、それがこの夫婦の不幸となった
 

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逃げ若武将名鑑【渋川頼子】
関東庇番渋川義季の姉で足利直義の正室。法名「本光院」
「頼子(らいし)」は江戸時代末期の『系図纂要』に見られる名
直義は正室以外に側室を持たない一途な将であり、中々子を成さなかったにも関わらずこの関係を続けたのは相当に珍しい

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「逃げ上手の若君」連載四周年、心よりお祝い申し上げます💐✨️

これからも、この物語が四季折々の花のように、私たちの心を彩り続けてくれることを願っております。

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この「後醍醐院百ヶ日御願文」(通称“怪文書”)抜粋した部分もヤバイですがそれ以外もヤバイ
「こんな賢君が何故無念の死を!?」←お前のせい
「陛下の弟子」←自称
「私は戦功しかない武辺者だけどこれも陛下のおかげだし頑張ります!」←自己完結

お  ま  え  が

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【Tips】おまえが
尊氏は後醍醐天皇崩御100日目にその死を惜しむ願文を遺している。以下抜粋
「我ら民草は黄金の君徳を忘れない」
「君臨すること太陽の如く、我らが仰ぎ見ること雲の如くの王者」
「陛下の穏やかで優しいお言葉が今もなお我の耳の奥から離れず胸が苦しい」
 

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政敵の後醍醐は兎も角、北朝初代天皇として担ぎ上げた足利からの扱いも蔑ろなのはなんなんですかね……
虜囚になってから出家して洞院公賢に「本心か!?」と訝しまれたが、どう考えても本心だろ……
解放後は面会を断ち「ごく普通の葬式をしてくれ」と遺言したのがもの悲しい

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光厳院の地獄一覧
・山賊に襲撃されひじに矢を受ける
・後醍醐院による皇位簒奪
・土岐頼遠に「院じゃなく犬w」と矢を放たれ牛車横転
・頼りの直義が南朝に寝返り見捨てられる
・戦乱の中義詮に忘れられる
・北朝一時消失
・南朝の虜囚になる
・明治に歴代天皇から除外される
 

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逃げ若武将名鑑【光厳天皇/上皇】
元96代天皇で北朝初代天皇。地獄を二度も見た天皇(書名)
義父花園院の仁政を継ぎ、度々徳政を行った賢君だが、後醍醐院や足利政権のせいで度々地獄を見ることになる
最終的に歴代天皇からも除外された。こんな時代に誰がした……!

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貞宗は大徳王寺城の戦い後も高師冬の要請を受けて北畠親房が籠る大宝城攻略に参戦したり精力的に活躍
1345年には嫡子の政長に守護職や所領を譲りながらも政務に携わる半引退生活に
足利家の内乱である観応の擾乱が巻き起こるより前の1347年5月26日に京都で死去。享年56歳

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「守矢文書」は諏訪大社の筆頭神官を務めた守矢貞実が大徳王寺城の戦いの数十年後に記したもの
つまり伝聞による記載であり、他の史料にこの戦の記録がないため非実在合戦だと言われてしまう
ただこの時代の史料が少ないのは常だし、火がないところに煙は立たぬじゃないかな

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1340年の「大徳王寺城の戦い」は、宗良親王を立てて籠城した時行・諏訪連合軍との腐れ縁の総決算たる戦い
小競り合いでは数十回もの敗北をしつつ、4カ月粘ったことで落城させて勝利したという
ただこの合戦「守矢文書」にしか記述がなく実際にあったか疑問視されてもいます

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そもそも優秀でなければ反乱多発地帯の信濃を治めることは不可能なワケで……
「時行と顕家以外に敗北なし」の敗北の内訳は「中先代の乱」と「青野原の戦い」のことでしょう
奇しくもどちらも時行が絡んでいます(青野原では実際には時行ではなく伊達ら奥州勢に敗北している)

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そんな状況で一貫して足利尊氏に従い信濃守護となった貞宗は紛れもなく一族中興の祖だったわけです
小笠原流礼法創始者としての功績は先の名鑑で書いたように、子孫が箔付けの為に盛っている部分がありますが盛るに足る偉大な祖という証左です
https://t.co/UxxVObuuNT

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その後、信濃小笠原家惣領の座は庶流の伴野氏に移りますが、伴野氏も霜月騒動に巻き込まれて没落
解説上手でも触れられていますが、以前まで貞宗は信濃国松尾と考えられていたものの、霜月騒動で信濃領を大幅に没収されているので信濃に地盤はなかったと見るべきです

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「源貞宗」とありますが、これは小笠原家が清和源氏の出身である為の氏読み
清和源氏の一派甲斐武田氏の分流であり、甲斐国巨摩郡小笠原に所領を持っていたことからこの苗字に
その後、信濃に土着した一族が貞宗の先祖ですが、2代目が比企能員の変に連座していきなり失脚

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逃げ若武将名鑑【従五位下 治部大輔 信濃守護 小笠原源貞宗】
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将
信濃守護を務めて戦国時代にまで続く小笠原家の礎を築き上げた
小笠原総領家では小笠原流礼法中興の祖として称えており、現在も歴史にその名を遺す

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【Tips】鳥の音も/なへて聞えぬ/山にしも/なれはなきける/時鳥かな
撰者宗良親王の准勅撰和歌集『親葉和歌集』撰入の一首
作中では宗良親王が詠っているが、実際は住吉大社の歌合で詠まれたよみ人知らずのもの
約1420首の中から時行に合う和歌を見つける松井先生のワザマエよ

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大晦日は「逃げ上手の若君」マラソン視聴中。
第一話頭5分ほど見て一気にまとめて見たくなったのでそこで一端視聴を止めてたのです。
面白い。
そして諏訪頼重 、良いなあ。

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翌年に反乱を起こした「高景」なる人物もいるが、これは安達高景と言われる(ただし『太平記』では安達は幕府滅亡時に東勝寺で自害している)
正直全体的にぼんやりした印象の人物だが、その後も歴史に名を残す「工藤」は現れる
北条時行と共に刑死した忠臣「工藤二郎」である

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