は1855年安政江戸大地震の翌日に仮名垣魯文が文章を考え暁斎が絵を付けて発行。鯰絵大流行の先駆けとなった作品。鯰が地震を知らせるという「都市伝説」を背景か、地震発生後には数千枚売れたという。24歳の暁斎、苦難の時代の転機となる出来事だった。暁斎×暁翠#高崎市タワー美術館

18 23