1774年5月3日。
ハインリヒ・アウグスト・ド・ラ・モット・フーケ死去。
7年戦争ではシューレジエンの防衛のため13,000の兵を託されるが、60年、ラウドン率いる墺軍に退却を余儀なくされる。
大王により再び進軍を命じられたが指揮下8,000人の部隊は、7月23日のランデシュトで敗北した。

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1885年4月12日。
へルマン・ホト生誕。
1904年士官候補生として第72歩兵連隊に配属。WW1勃発後に参謀本部に大尉として配属される。
大戦中は中隊長、大隊長、師団及び軍団司令部参謀、陸軍航空隊司令部勤務など歴任。
35年第18歩兵師団長に就任。38年には第15軍団長に就任。

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1885年4月6日。
エデュアルド・フォーゲル・フォン・ファルケンシュタイン死去。
1864年デンマーク戦争では途中から新編された第7軍団の司令官に就任。後にプール・ル・メリット章も受章。
普墺戦争では西部にてハノーファー、ヘッセン=カッセルに攻勢をかけゲオルク5世の降伏を受ける。

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1971年3月31日。
エーリヒ・シュトラウベ死去。
42年4月、第13軍団長に就任。その後も第74軍団長、第86軍団長を歴任し、45年4月には第1空挺軍司令官も終戦まで兼任した。
柏葉騎士十字章受章者。

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1892年3月22日。
ヨハネス・フリースナー生誕。
1911年、士官候補生として第103歩兵連隊に配属され、翌年同連隊で少尉任官。
WW1では大隊副官や参謀将校を務め、戦後は歩兵学校の教官や軍学校の教官を経て、39年陸軍教育訓練総監部の参謀長に就任。
WW2序盤は後方にて将校教育に従事した。

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1809年2月24日。
エドヴィン・フォン・マントイフェル生誕。
国王直属の独立した軍事内局長として軍部に絶大な影響力を持つ。
軍事予算案を巡り議会が紛糾するとクーデターによる憲法廃止を計画。
ビスマルク、ローンと対立するようになりデンマーク戦争後はシュレスヴィヒ総督に栄転となる

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1892年2月10日。
ギュンター・ブルーメントリット生誕。
WW1中は第71歩兵連隊で勤務し、戦後は第7軍団の作戦主任参謀などを経て 38年、陸軍参謀本部第4課長に就任。
39年のポーランド戦ではルントシュテットの南方軍集団司令部で作戦主任参謀を務める。10月、A軍集団と改称された後も留任。

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