「英国誌の雑誌広告」1967
並びから察するにT200よりB100pの方が人気だったようだ。

2 13

「ホンダ レーシング サービス クラブ」1967
以前に何かのコーナーで紹介されていた"ビジバイお断り" のクラブ。よくよく読めば、本田直営のチューニングショップなので、そりゃあセミワークスレベルにもなるだろう。

8 39

「問題 このクルマがウルフT125/90の内、どちらであるかを1分以内に判別し、回答せずに心に秘めよ」

9 46

『社内報すゞき 57号』1966
売る気がない最新車の写真は、社内広報の中で多数見ることが出来る。

1 6

AC90系の泣き所はやはり『前後18インチ』という点に尽きる。ロードタイヤならまだ選択肢はあるのだが、ブロックパターンは絶望的になる。

3 26

『S32-1』1965
仕様から見て英国のスナップ

3 15

『品田直人アニキのT500』2006
一刻も早くスズキ界隈に帰ってきて欲しい。

4 19

『セルペットMDの生産ライン』1960

2 10

『プレスフレームのアップマフラーは正義である②』1966

4 20

『ベンリイCB/CL125 雑誌広告』1968

3 18

『ブリヂストン試作車200RS』1966
これが出ていれば、状況は随分違っていたのではと思ってしまう。

2 9

『ウィリー走行する中型スクランブル』1968

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『トーハツ ベル BC』1963
女性でも軽々と扱えるとの謳い文句で発表された35cc。ベビーライラックほどの評判は残されていない。 標準正価は42500円。

8 34

『トーキョー・ロードレース』1965 ③
125ccクラスからは大荒れ。鏡面となったコースの様子がよく分かる。
結果はYA6の宇野の勝利、スズキはぜんぜんダメ。やはりこの時期までは市販車ベースの活躍が少ない。

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『S211A ラビット90ハイスーパー配線図』
最近、正式名称には敬意を払うべきだと思うようになった。

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『Kという名の従業員』
本文を読む限り、彼等には人権がない。

8 22

60年代のスズキが、このマークで世界に打って出たことを、多くの方々に知ってもらいたい。

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