第201回
女学校を出た後、兄の薦めで同じ登戸研究所に勤務した。兄嫁も勤務していた。庶務科の広くて人が大勢いる部屋で仕事をした。毎日、小田急線沿いの幅1m位の細い道を通った。研究所で風船爆弾を作っていることを兄から聞いたが、話してはいけないと言われた。(16才、女)

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 第190回
住んでいる地区の人たちは軒並み登戸研究所に働きに来ていた。私の家は姉二人と私の三人。隣家は同級生と姉の二人。私の分家では同級生が一人。徴兵逃れで守衛になった人も多かった。ただ仕事のことについては一切口に出したことはありません。
(15才、見習い工員)

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 第176回
風船爆弾には発信機が付いている。今どこを飛んでいるか、発信音を傍受していた。でも4時間位したら発信音が聞こえない。おかしい。気球が落ちたのではないかといろいろ考えたが、蓄電池が4時間しか持たないためだった。(15才、男)
【注】試射時のこと

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 第150回
16歳の時に、向かいに住んでいた将校の紹介で登戸研究所に入った。憲兵に調べられることはなかった。入所してまずは敬礼の練習、外部に話してはいけません、という教育を受けた。(16才、女)

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 第140回
残業する人もいたし、泊まりこむ人もいたけど、私は大体帰った。ただ、ライター型の拳銃の時は徹夜で実験させられた。(20代、工員)

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 第135回
風船爆弾にぶら下げる爆弾の中の火薬を計る作業をしていました。天秤で両方がピッタリ合わないと不合格になるので、目を凝らして両方が真っ直ぐになるまで一所懸命にらんでいたのを記憶しています。(16才、女学生)

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 第91回
1945年の秋にGHQが来たのは覚えている。若い女性と美しい着物がさらわれると噂があったため、とっても怖かった。(8才、登戸研究所疎開先住民女子)
【注】GHQは登戸研究所の疎開先にもやってきました。

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 第90回
戦後、登戸研究所が疎開先の学校に残していったものをいたずらで取り出して遊んでいたら爆発して、子供の兄弟二人が手を飛ばしてしまうという事故があった。(疎開先の住民男性)
【注】疎開先では戦後、毒入りチョコ誤食事故も起きています(第21回参照)。

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 第84回
第四科(製造工場)の上司の伍長は厳しい人だった。独身で田舎っぽい雰囲気の人だったが、若い人が第四科に入るようになってからはお洒落を始めた。が、元が田舎っぽいので板についていなかった。(10代、男)

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 第83回
第三科(偽札製造)、第四科(製造工場)では軍人との間に色々と男女問題があったようで、紅色事件と言っていました。(元所員男性)
【注】若い女性も多かったので、「職場結婚は多かった」と証言する人もいます。

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 第74回
研究室には、ステッキ銃や尾行を見つけるスパイ用メガネがあった。スパイ用メガネはレンズの端の方に細工を施し、目を動かすことにより後ろが見えるようになっていた。他にタバコ爆弾の話も出た。(15才、見習い工員)
【注】タバコ爆弾の詳細は不明。

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 第70回
登戸研究所と共に疎開した。終戦時は、小さな穴を掘り、書類を焼いてから帰ってきた。一生懸命した仕事を灰にするのはつらかった。(10代、庶務科勤務女性)
【注】疎開先でも、証拠隠滅のため関係書類が焼却されました。

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 第69回
終戦時、偉い人とタイピストしか開けられない金庫を開け、中の書類をドラム缶で燃やした。大事にしていたものを燃やさなきゃいけないんだって、泣きながら燃やした。(10代、タイピスト女性)
【注】証拠隠滅のため書類は焼却されました。

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 第49回
風船爆弾の糊付け作業で、泥酔状態になってヘラヘラ笑いだす女子生徒がいた。戦後、コンニャク糊だけではなくシンナー系有機溶剤が使用されていたことを知り、健康被害が心配になった。(10代、女学生)
【注】風船爆弾気球表面はラッカーを塗って仕上げました。

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 第31回
登戸研究所での軍事教練はすごくきつかった。最初は筋肉痛でトイレに座れなくなった。歩く時は痛くてガニ股になっちゃう。(15才、見習い工員)

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 第21回
登戸研究所内で空腹のためチョコレートを盗み食いした人がいたが、毒入りチョコレートだったため医務室へかつぎこまれた。(10代、男)
【注】登戸研究所疎開先の国民学校でも児童による毒入チョコ誤食事故がありましたが、胃を洗浄して助かったようです。

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 第5回
謀略戦講習1 砲弾を使った地雷の作り方を教わった。(20代、男)
【注】戦争末期、軍の幹部候補生だった男性が、登戸研究所で謀略戦やその器材の講習を受けたと証言しています。本土決戦を強く意識したその内容を、数回にわたって紹介。

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 第1回 
風船爆弾の爆弾信管部分にあった日本語を鏨(タガネ)で消す作業をした。爆発にそなえ、一人で海岸に行って作業をした。事故はなかった。(10代・見習い工員)
【注】日本語が残っていると、風船爆弾が日本製であることがバレてしまうため。放球地での作業でした。

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