//=time() ?>
既視感。
キャラを大切にするって、キャラを殺さないことではなくて、物語を大切にする(つまりは生きた過程を大切に思う)ってことだよね。
フィクションだけに、「天国でも元気」って様子をいきなり見せられると、何それって感じなんだよな。
#ワニの件
100日後に死ぬワニの件
100日を過ぎて…
『一杯のかけそば』
の時と同じ様に…
感動→バッシング
という道を辿る気がしてならないんだが…
#100日後に死ぬワニ #一杯のかけそば
#100日後に死ぬワニ
ワニの件。死に対する様々な向き合い方を可視化された思い。
「終わった途端に商売とは何事だ。ワニが死んでるんだぞ! 喪に服せ!」的に怒ってる人がいる。"死"が"商売"に直結された不快感。
力石徹やラオウのように、ワニのお通夜とか葬儀から始めれば良かったのでは。
そう言えばワニの件、どこかで既視感あるなぁと思ってたらこぐまのケーキ屋さんであった現象だっ
ぽまいらもうこぐまのケーキ屋さんのこと忘れてるでしょ?
つまりそういうことよ
おはようございます~
100日後に死ぬワニの件で情緒ガー言ってる人は、何がそんなに不満なのか
作品が終わった直後に商業告知が来るのは普通じゃない?
それで情緒が損なわれたとは別に思わないけどなー
なんか、勝手な幻想を抱いて勝手に幻滅してる人が多いような気がするね