煌びやかな十二単(五衣唐衣裳=いつつぎぬからぎぬも)を着ていたのは995年まで、それ以降は疫病の流行で人死にが多くて喪服を着ていた時期が続いていた…血縁(親等)が近いほど黒っぽく(チャコールグレー)、遠いと薄鈍色(薄いグレー)の喪服だったそうだ。

7 9

「即位礼正殿の儀」に際しまして、雅子皇后の御髪は「大垂髪(おすべらかし)」、御装束は「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」、所謂「十二単」となります。

写真は、衣紋道東京道場の荘司礼子会頭の「お服上げ」の実演。
本当に見事です。




5 2


【十二単 2】
現在では十二単と呼びますが、「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」が正式名称。
基本は絵のような構成です
(本当は表着と五衣の間に「打衣」が入りますが、全ての絵で描き忘れましたw)

3 7