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清から来た冊封使は天使館と呼ばれる施設に滞在した。天使館に滞在したのはその御一行まるごと滞在されたという説もあるけど、冊封使一行の内上位20~30名(正使官、副使官を含めた重要ポストの人達)のみと言われる説もある。復元された天使館(むら咲むら)を見ると多分全員は無理だと思う‼️#琉球
明~清の時代、冊封使が琉球へやってきました。
只今、辮髪のお兄さん達をイケメンにする事がマイブームです。
妄想最高‼️‼️‼️‼️
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ヤッホー、アルバだよ。1800年に冊封使として清から琉球を訪れた李鼎元(りていげん)は、『使琉球記』で「琉球の人は毎年一航海しているのに黒溝を知らない。とすれば、黒溝はないといえよう」と述べているよ。
アルバだよー。19世紀初頭の清の冊封使 齋鯤(せいこん)は「姑米山 」について「此山入琉球界」と、また「雞籠山過中華界」と書き残しているよ。
「姑米山 」は久米島、「雞籠山」は現在の台湾の基隆で、尖閣諸島を含め、その間の島々は琉球と清のいずれにも属さない認識が示されているよ。
この時代、琉球の人々の方が中国との間を頻繁に行き来し、尖閣諸島についても、よりよく知っていたんだよー。1534年の冊封使録(中国から琉球への使節の記録)には福建の人々は琉球への航路をよく知らず、琉球が水先案内人を派遣したため、使節の一行は安堵し喜んだと書いてあるよー。