同日同内容で病床の天智天皇から皇位を継ぐよう言われた大海人皇子が辞退して出家する記事ですが、天智紀と天武紀で微妙に記述が違います。特に天武紀は蘇我安麻呂が大海人にアドバイスしたりしてて全体的に大海人の行動に正当性を持たせてる感ありますね。
(実質は壬申の乱2023)

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壬申の乱の功臣、大伴吹負の忌日。
しかし他の功臣と比べてあんなに活躍した割には…?みたいな印象。
今年はなぜか吹負といえばうさぎ(置始菟)。というわけでらくがき。
置始菟はいつ亡くなったか不明です。吹負と同じ頃かも。

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なぐさみに近江朝父子とカエル

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そして最後にこれを上げておかねば…。
今年もお疲れ様でした。
(今年のメインは置始うさぎでした)

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本日の重要人物物部麻呂も過去絵で。
ここが初見の麻呂、後の左大臣石上麻呂ですが、この後の長い人生で多分何度もこの場面を想起したのではないだろうか。
(この時の麻呂の立ち位置は諸説あります)

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今年ちゃんとした大友忌日絵(8月も)描けないだろうかららくがき。
天智失くしてからの心情と重責いかばかりか。

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うさぎが大海人軍に居るからカエルは近江朝だろう

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持統天皇十年七月十日
後皇子尊薨。

後皇子尊こと高市皇子薨去。
大友についで壬申の乱でしんどい子。壬申の乱期間に忌日がきてよりしんみりしちゃう。

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七月十日は壬申の乱記述なしなのでらくがき置始うさぎ置いとくね
そんなに負けてるわけではないはずだが負けイメージつよい吹負

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高市は多分戦いの最前線にはほぼ出ておらず和蹔付近で軍の指揮を執ってたと思われますが…
この場面のこれ、大海人が言わせたのかな??みたいな印象で個人的には結構しんどい。
長子の皇子が「臣」って言ってるのがしんどい。

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ここは貴重な大友皇子の言動がある記事なので大事。
少なすぎてどうしてこう言ってこの対応なの…みたいな感想になってしまうが仕方ない。
近江朝側が受け身っぽいのが全て物語っている。

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構図は近江朝廷の大友皇子VS大海人皇子なんだけど高市自身へのこの戦争の影響もすごいと思う。
私の中ではこの二人の戦いでもあるんだよ。
(べ、別に推しCPだから言ってるんじゃないぜ…)

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私自身はごりごりの近江朝贔屓なのでご容赦ください。
そういったお気持ちは随時表明しますが、流れは日本書紀に則っております。


(絵は再掲)

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というわけで吉野に下っていた大海人皇子が東国行きを決意しました。
壬申の乱はもう始まっているんだ…!というわけで今年も近江朝の父(故人)に代弁していただきます。

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壬申の乱はもう始まっているんだ…!というわけで、「天皇」とありますが壬申紀なので即位前の大海人皇子を指します。
昨日上げた記事でも触れてあった部分ですがちょっと後付け感があるかなと。

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