SNS新収蔵資料展【和風と秋田正風派④】
明治30年代、 の日本派が全盛を極め、全国にネツトワークを廻らす。秋田では『俳星』が呼応した。一方、#安藤和風 らは、吉川五明を秋田正風の始祖とし、秋田俳諧の系譜に立脚地を定めた。こうして日本派と正風派は県内俳壇を二分するのであった。

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安藤和風主宰の俳誌「麗」が創刊されたのは昭和11年2月。編集兼発行人は加藤俊三でした。加藤は蓼洲と号した人物です。
  下萠の右往左往や積木跡  和風
    麗新詠
  押せば開くとぼそぞ吾に散る馬酔木 境田素洞
  春寒し路に迷へる軍鶏一羽    安藤五百枝

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