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巨勢徳多(生没年不詳)
蘇我入鹿の側近。
山背大兄王への襲撃を加担したが、入鹿が殺された(乙巳の変)後は中大兄皇子に寝返っている。
もしかしてだけど入鹿からパワハラを受けてたのでは?
(下克上の扉が開きます〜♪
10/9(土)<聖徳太子千四百年御聖忌記念特別講座>
「聖徳太子と馬飼集団の謎を解く」
「#廏戸皇子」はいたが英明な偉人とされる「#聖徳太子」はいなかったという議論から、#四天王寺 と #法隆寺 の建立や山背大兄王が宮殿を馬骨で擬装した物語の真相に迫ります。
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【最新】日本書紀「舒明天皇(3)」
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大臣蘇我蝦夷と対立した境部摩理勢は山背大兄王の弟、泊瀬王の宮に立てこもるが、山背の説得により自邸に戻る。そこへ蝦夷が軍勢を差し向ける。
若い衆に説明しておくと、山背大兄王に三輪文屋君に言ったことばやな。「鞍作大郎攻め来たりぬ、今や撃つべし」が原典。
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