山背大兄王(やましろのおおえのおう)
久方ぶりに創作したが
これは三次創作に当たる…のか?

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巨勢徳多(生没年不詳)
蘇我入鹿の側近。
山背大兄王への襲撃を加担したが、入鹿が殺された(乙巳の変)後は中大兄皇子に寝返っている。

もしかしてだけど入鹿からパワハラを受けてたのでは?
(下克上の扉が開きます〜♪

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10/9(土)<聖徳太子千四百年御聖忌記念特別講座>
「聖徳太子と馬飼集団の謎を解く」

「#廏戸皇子」はいたが英明な偉人とされる「#聖徳太子」はいなかったという議論から、#四天王寺 と の建立や山背大兄王が宮殿を馬骨で擬装した物語の真相に迫ります。

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おはナオ✨

現在のフォロワー6643名様😊

643年は蘇我入鹿が、厩戸皇子の第一皇子、山背大兄王を襲撃し、皇子とその一族が法隆寺で自害した年。
事件の顛末を聞いた、入鹿の父、蘇我蝦夷は激怒した。
これによって上宮王家は絶えた。

リプはおはナオで✨

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【最新】日本書紀「舒明天皇(3)」
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大臣蘇我蝦夷と対立した境部摩理勢は山背大兄王の弟、泊瀬王の宮に立てこもるが、山背の説得により自邸に戻る。そこへ蝦夷が軍勢を差し向ける。

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あまり要素はないけど、歴史人物をもとにしてみました❗

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トッジは山背大兄王のことずっと気にしてそ。

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若い衆に説明しておくと、山背大兄王に三輪文屋君に言ったことばやな。「鞍作大郎攻め来たりぬ、今や撃つべし」が原典。
日本旧紀(民明書房版) https://t.co/JTHGfsa0so

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日本書紀には日時ははっきり書かれてないんですが他の史料に「癸卯年(皇極天皇二年)十一月十一日丙戌亥時」に蘇我入鹿他によって山背大兄王等太子子孫が殺された記述があるようです。なので山背大兄王の忌日でもある。
多分習作で描こうとして途中止めになってた山背絵簡単に仕上げておきました。

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