石原純:東大を出て1914年東北大教授。万有引力論、量子論に関する業績で1917年帝国学士院恩賜賞。歌人原阿佐緒との恋愛事件から21年東北大を退職、以後科学の啓蒙活動に専心、岩波書店で雑誌「科学」等の編集を主宰。またアララギ派の歌人としても知られている。

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山本周五郎:武士の苦衷や庶民の哀歓を描いた小説を多く残し、現在も広く愛読されている。代表作に「樅の木は残った」「赤ひげ診療譚」等。読者の為に「よき小説」を書くことに専念、直木賞をはじめ、あらゆる文学賞を辞退した。

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今回は文豪さんがいないので、こちらの方を紹介。

楠芳伸(くすのき よしのぶ):1966年7月20日。広島県福山市出身。日本の警察官僚、2025年1月27日第31代警察庁長官就任。

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中井正一:広島生まれ。雑誌「世界文化」を創刊、反ファシズム運動を展開するが、治安維持法により検挙。第二次大戦後、国立国会図書館の初代副館長。

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新美南吉:愛知県半田市出身。人生の喜び、悲しみをテーマに子供や身近な動物を描いた作家として知られている。14歳から創作を始め、童話「手袋を買いに」「デンデンムシノカナシミ」など1500点以上の作品を残した。代表作の「ごんぎつね」は小学校の国語の教科書に採用されている。

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芥川龍之介:第三次、四次の「新思潮」同人。「鼻」が夏目漱石に認められ、文壇出世作となる。歴史に材を取った理知的、技巧的作品で、抜群の才能を開花させた。著作「羅生門」「地獄変」など。

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種田山頭火:山口中学を経て1904年早稲田大学文科中退。萩原井泉水に師事して「層雲」に属したが、25年に出家、翌年から漂泊の旅に出た。小郡の其中庵、松山の一草庵など各地の草庵に転住し、自在闊達な心境を句作に託しながらの全国行脚を死に至るまで続けた。

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宮沢賢治:岩手県花巻市生まれ。旧制盛岡中学から旧制盛岡高等農林学校に進み、短歌や散文の創作をした。農学校の教師を務めた後、開墾生活の傍ら農業技術を指導し、農民の生活向上に尽力。生前刊行されたのは詩集「春と修羅」と童話集「注文の多い料理店」だけで、没後評価が高まった。

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近松秋江(本名 徳田浩司):近松門左衛門に傾倒、近松秋江と称した。「中学世界」「早稲田文学」等の編集に従事。情話作家、私小説家として知られている。

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坂口安吾:本名(炳五 へいご)。「風博士」など特異な文体で認められた。第二次大戦直後、いわゆる新戯作派の一人として活躍した。「白痴」「堕落論」等で流行作家となる。また歴史小説や推理小説なども手がけた。

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寺田寅彦:実験物理学、気象学、地球物理学に業績を上げる。また夏目漱石に師事し、英語、俳句を学び、活発な文筆活動を展開し多数の随筆や俳諧作品を残した。

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折口信夫(しのぶ):日本を代表する民俗学者、国文学者、歌人であり、「釈迢空(しゃくちょうくう)」の歌人名で知られている。柳田国男に師事し、独自の視点から古代研究や文学、芸能、宗教など幅広い分野で活躍した。

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国枝史郎:早稲田大学英文科を中退。在学中から演劇運動に参加、戯曲集「レモンの花の咲く丘へ」を刊行した。その後大衆文学に転じ、奔放な想像力を駆使した伝奇性の強い時代小説に独自の作風を開いた。代表作に幻想的な大作「神州纐纈城」をはじめ、「紅白縮緬組」、「生死卍巴」等がある。

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吉川英治:大正3年「講談倶楽部」の懸賞小説に入選。「剣難女難」等で流行作家となり、昭和10年から連載の「宮本武蔵」で時代小説に新境地を開く。戦後は「新・平家物語」等で国民文学の可能性を追求した。

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宮本百合子:東京市小石川区(現 文京区)出身で日本女子大学英文科を卒業。ロシア文学に傾倒し、社会主義思想の影響を受け、プロレタリア文学運動に参加。女性の視点から社会問題や家庭問題を深く掘り下げた作品を多く残し、日本の近代文学における重要な作家の一人とされている

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室生犀星(さいせい):明治時代から昭和時代にかけて活躍し、詩集「愛の詩集」や「抒情小曲集」、小説「あにいもうと」などで知られている。金沢市出身で、故郷を愛し、その風景や人々を作品に描いた。

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吉川英治:大衆小説、特に歴史小説で有名な文豪。代表作に剣豪、宮本武蔵の生涯を描いた作品「宮本武蔵」や中国の歴史小説三国志を題材にした、壮大なスケールと登場人物の魅力で人気を集めた「三国志」等がある。

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岡本綺堂:多年新聞の劇評を書いたが、二世市川左団次と提携、新歌舞伎の運動を助けて「修禅寺物語」「鳥辺山心中」「番町皿屋敷」等多くの戯曲を書いた。また、「半七捕物帳」等の読物作品もある。

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寺田寅彦:物理学者であり、随筆家としても知られている。特に科学的な視点を取り入れた独自の随筆を数多く残した。また寺田氏の言葉で「天災は忘れた頃来る」は、随筆に出てくる言葉で、自然災害の脅威を忘れてはならないという警鐘を意味している。

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