天正十一年(1583年)四月八日
羽柴秀吉が下間頼廉に書状を発し、柴田勝家が江北に出陣の際は加賀門徒に加越国境を脅かすよう依頼
成功裏には加賀安堵の朱印状を出す旨を伝える

 石山本願寺と加賀一向一揆が白旗上げて三年、未だ真宗門徒が武力として脅威だったことが窺える

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