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余談ながら、これ以前にも芳年センセは武田家関係の合戦図を題材とした作品を描いていますが、刊行時期から推定して長州征伐、或いは水戸藩の尊攘派による天狗党の乱(元治元年/1864年)に関して、主将の武田耕雲斎が同姓であることから、これに擬したと考えられるものが複数点確認されています。
ミレニアムプラン 幕末編。
「重要参考人・斉昭」
義経「斉昭公、あなたは桜田事変を聞いた時、井伊直弼公の死について、どう思いましたか?」
徳川斉昭「直弼が死んだ事を武田耕雲斎から聞いた時、わしは素直に喜べなかった。外国の脅威が迫る中で、この事件が起き、紛争になると思ったからだ。」
水戸は江戸時代初期、家康公11男水戸頼房公が入部したが、厳密には5男武田信吉殿の入部が先。
世襲ないまま鬼籍入りされたため、水戸家は頼房公が初代なのは間違いないが、家臣は信吉殿から仕えている人々も多かった。
天狗党の重要人物武田耕雲斎殿も、甲斐武田家の末裔と聞く…