この小さな街に原子爆弾を落とすという発想が狂気である事を、長崎に住んでいると痛いほどよく分かります。浦上天主堂 哀しみのマリア 

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浦上天主堂 悲しみのマリア
長崎を最後の被爆地に。

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【長崎 浦上天主堂の悲しみのマリア】
「この街が かつて 燃え尽きた時に
 私たちは誓った 繰り返すまじと」(祈り さだまさし)
 長崎を最後の被爆地に‥‥心から願います。
  

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Shomei Tomatsu『NAGASAKI』「東松照明 ―長崎― 展」
2016、広島市現代美術館で。
・爆風により崩壊した浦上天主堂の天使像 1961
・無題/長崎市内 1975

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1945年8月9日、
原爆により破壊された浦上天主堂

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1958年当時、長崎市議会は廃墟の浦上天主堂を保存する決議書を採択している。しかし、天主堂は破壊されてしまった。今も廃墟が残っていたら圧倒的な存在感で私たちに反核を訴えたであろう。#長崎  

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長崎 浦上天主堂の破壊された左側鐘楼(現在も吹き飛ばされたままの姿で保存されている) 原爆被爆後の浦上天主堂はそのままの姿で保存される予定だったが、米国の政治的思惑から1958年に取り壊されてしまった。全くもって残念である。#絵描きさんと繋がりたい  

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76年目の夏を迎える長崎 浦上天主堂。1945年も暑い日だったのだろう。天主堂前の公園は今年改修されて子どもたちの笑顔あふれる場所になりました。
   

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浦上天主堂で祈る女子をパワポで書きました 

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長崎原爆投下の日。
数年前のこの日に長崎を訪れ、原爆資料館、浦上天主堂、平和記念公園で祈りました。
遠藤周作氏の「女の一生 サチ子の場合」は第二次大戦時の長崎が舞台です。
作中の詩と、サチ子さん宛の手紙に号泣しました。
創作できる現代がどれ程ありがたいか…。
心からおすすめです。

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体温は36.6°と少し高めですが🚿の直後だからかもですね。朝食も美味しく☕️もいい香りでした。
今日は長崎原爆記念日。
浦上天主堂の被爆マリア像や破壊された石像も見ました。
平和公園が元々刑務所の敷地だった事も現地で知りました。
また旅に出たい。

おはようございますフロム名古屋。
(^ω^)

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長崎市浦上天主堂被爆マリア像

「なぜ2発も」
「なぜ東洋一と言われた大聖堂に」
「なぜ許しの秘跡に」
「なぜ遺構は取り壊された」

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女性の手元を見ると、小さな手帳に のイラストが✨
ここのバス停からはその建物が正面から見えるので、バスを待ちながらちょこっと描いていたのかな、?
パンフレットも持っていたので、観光の方だったのかもしれません💭

とても話してみたくなって声を掛けようと思いました

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今日は午後から長崎。浦上天主堂、吉宗の茶碗蒸しとそぼろご飯。

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