ミーハーな熊谷徳兵衛(登久平)は大正10年に中央大学進学のため上京。横浜開港に尽力した豪商熊谷伊助(生家が同じ千厩の日野屋)の孫が継いだマツヤカンパニーと、その弟治純が経営する片瀬写真館に行く。
で、萬鐵五郎に会いに。

片瀬写真館初代治純は近所の岸田劉生と交流あり(劉生日記)

右の人誰。

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萬鐵五郎展 萬は「筆のリズム、墨のリズム」「人のリズム」の体現として浦上玉堂に共感している。1922年《日傘のひと》、《わかれ道》《砂丘》などの線や点は玉堂のリズムと共振しているよう。自用印の実物が8顆展示されていた。愛用した木印「犂耳窩主」の側面に中村蘭台風「雪中福」金緑刻字。

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神奈川県立近代美術館葉山「萬鐵五郎展」 萬鉄五郎は油画と水墨画を混然として創作し日本近代の根底的な問題に直面した稀な画家だ。最大規模394点の展示には水墨画105点を含み注目される。ただ図録にいうように「時系列とジャンル、テーマ別の展示が入り乱れ」見るものも多少混乱してしまう。

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【葉山館】いよいよ明日まで!「没後90年 展」は9月3日(日)が最終日となります。20年ぶりの大回顧展を神奈川で見られる最後のチャンスです!ぜひご来館ください!なお、この展覧会は新潟県立近代美術館に巡回いたします。
https://t.co/8WhVX43aus

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