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栃木の足尾銅山と、埼玉・秩父の和銅遺跡、そして群馬の多胡碑と多胡羊太夫伝説
日本の、関東内陸部のこの辺で、銅を起点にした謎の繋がりがある(白目)
まあ足尾銅山はあんま関係ないけど、江戸時代には通貨作ってたし(白目)
2年前に、羊ダユーとヤツカノコハギてキャラを作ってました(白目)
今日は鑑三忌。
明治・大正時代のキリスト教伝道者・思想家の内村鑑三、1861(万延2)年高崎藩士の子として江戸・小石川の藩邸生まれ1930(昭和5)年69歳の忌日。
第一高等中学校講師職を教育勅語の不敬事件で追われ1897(明治30)年に『万朝報』の記者となり足尾銅山鉱毒反対運動に関わった。
10.足尾銅山の事務所 骨董市で葉書の束を漁っている際に絵葉書を発見した事がきっかけで制作。実のところ竣工後数年で移築され晩年は足利市役所として使われていたとのこと。色については茶色っぽかったらしいが今回は緑っぽく仕上げた。