光岡 ゼロワン(1994-2000)
光岡が送り出した本格的スポーツカー。外観はロータスセブンに似るが、車体寸法はひとまわり大きくなっている。エンジンはユーノスロードスター用を搭載。96年にクラシックタイプFと呼ばれる兄弟車も追加。新しい側突基準に対応できず、00年に生産終了となる。#車小噺

37 198

フェラーリ 408 4RM(1987 イタリア)
フェラーリが初めて四輪駆動を採用したプロトタイプ。名前の通りエンジンは4.0L V8で300馬力を発生。4RMは四輪駆動を意味する。スチール車体の赤色、アルミ車体の黄色の個体が存在。アルミ車体は後の360モデナに、四輪駆動は後のFFへと受け継がれた。#車小噺

43 203

アルファロメオ アルナ(1983-86 イタリア)
欧州進出を目論む日産とアルファロメオは新会社"ARNA"を設立。それを車名としたこのモデルは、パルサーの車体にアルファロメオ製のボクサー4エンジンを搭載。日産の技術が投入されたアルファロメオの新工場は、後の156や147の生産に一役買った。#車小噺

55 308

フォード ニュークレオン(1958 アメリカ)
フォードが考案した原子力駆動のコンセプトカー。車体後部に円形の小型原子炉を備え、8,000km以上を燃料補給なしに走行できる。また、原子炉の動力モジュールの取替も簡単に出来るように設計されていた。製造はされず、モックアップのみ。#車小噺

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ブガッティ タイプ41"ロワイヤル"(1927-33 フランス)
ブガッティがロールスロイスに対抗すべく送り出した史上最大級の乗用車。ボディ全長は6.4m、重量は3.2tと非常に大型。エンジンは巨大な12.7Lの直8 SOHCを搭載し約300馬力を発生。世界恐慌のあおりを受け、わずか7台の生産に留まった。#車小噺

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NSU Ro80(1967-77 ドイツ)
ヴァンケルロータリーエンジンの本家であるNSUが送り出した2ローターエンジン搭載の前輪駆動ミドルクラスサルーン。497.5cc×2のロータリーエンジンは115馬力を発生。半自動の3段変速を組み合わせる。しかし、故障に伴うエンジン交換が多発し販売は伸び悩んだ。#車小噺

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メッサーシュミットKR200、この子って3人乗りだったんですね。後部座席にちゃんと2人乗れるんだろうか?とてもわちゃわちゃして楽しそうです。しかし、おっさん3人だと窒息死しそう(>_<)

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DAF 95 ターボツイン X1(1988)
DAFトラックスがパリダカールラリー総合優勝を目指して開発したモデル。ドライバーでもあるヤン・デ・ルーイによる設計。11.6L 直6 ツインターボディーゼルを2基搭載し1220馬力、4700Nmを発生。0-100km/hは7.8秒、最高速度は220km/hという怪物カミオンだった。#車小噺

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マツダ ファミリア(1980-84)
この代でファミリアはついにFWD化される。爆発的な人気を得て、マツダの業績回復に大きく貢献。スタイリッシュなデザインの3ドア、5ドアハッチバックが用意され、すぐに4ドアセダンも追加。1.3L、1.5Lのエンジンラインナップで、ターボモデルも追加された。#車小噺

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【立川 試作高高度戦闘機 キ94-1】
主任設計者は弱冠27歳の長谷川龍雄。20代で国防の先端を担う戦闘機の主任設計者を命じられる、そのプレッシャーは計り知れない。この方が後にパブリカ、トヨタスポーツ800、カローラ、セリカを産み出した。そういう背景を知ると、車に対する見方も変わる。#車小噺

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そこでポルシェにより開発された車が"EA266"と呼ばれる小型車。1.6Lの直4エンジンを横倒ししてミドシップ配置する斬新な設計。居住性とハンドリングを両立する野心作。設計責任者はフェルディナント・ピエヒだった。生産設備の準備まで進むもコストが嵩みすぎるために計画は中止となった。#車小噺

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フィアット ムルティプラ(1955-69 イタリア)
600ベルリーナのコンポーネンツを使ったステーションワゴン。ムルティプラとは多目的の意。ベルリーナ同じ2.2mのホイールベースながら、3列シート配置で大人6人を乗せたほか、シートを折り畳めば巨大なカーゴスペースが出現した。#車小噺

27 166

BMCミニがモータースポーツで活躍できた理由を考えてみる。イシゴニス式FFはエンジンミッションが2階建てでそれ単体では重心が高くなるデメリット。ただそれを補って余りある10インチホイール採用と低床フロアによる重心の低さ。また重量物が前端に寄るのでトラクションでも有利。そして軽い。#車小噺 https://t.co/azCEjeDLQw

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ロータス エランS1(1962-64 イギリス)
エリートの後継として発表された2座スポーツ。スチール製のY字型バックボーンフレームを採用し、FRPボディを被せる構成。エンジンはフォード製をベースにしたロータスオリジナルのツインカム。仕向け地別に1.5Lと1.6Lがあり、後に1.6Lに統一された。#車小噺

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光岡 ゼロワン(1994-2000)
光岡が送り出した本格的スポーツカー。外観はロータスセブンに似るが、車体寸法はひとまわり大きくなっている。エンジンはユーノスロードスター用を搭載。96年にクラシックタイプFと呼ばれる兄弟車も追加。新しい側突基準に対応できず、00年に生産終了となる。#車小噺

9 63

フォード マスタング(1971-73)
元祖ポニーカーの2代目モデル。ボディを大型化し、サンダーバードに近い性格になった。ハードトップ/スポーツルーフ/マッハ1/コンバーチブル/グランデを用意。高性能版はBOSS351。初代のような人気は得られず、小型化されたマスタングⅡへと全面改変される。#車小噺

9 49

アルファロメオ AR-51(1952-54 イタリア)
イタリア政府は戦後、小型軍用車の内製を計画。それを受け、アルファロメオが開発した軍用ジープがAR-51、通称"マッタ"である。エンジンは直4 1.9Lだが、なんとドライサンプ潤滑のDOHCだった。高速型エンジンは軍用車としては不適で、短命に終わる。#車小噺

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エスプリはS3までシトロエンSM用のギヤボックスを前後逆にして使用していた。これってどういう事かというと、SMのギヤボックスはフロントに突き出している。もっと突き詰めるとシトロエンSMはフロントミドシップという事です。というか、エンジン縦置きFFって元来フロントミドシップなんです。#車小噺

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【バトル・オブ・ブリテン】
メッサーシュミットとスピットファイア。
イギリスは戦勝国だから、戦時中の戦闘機をトライアンフスピットファイアの広告に使えたんですね。#車小噺

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三菱500(1960-62)
三菱オリジナルの初めての乗用車。55年に通産省が提唱した国民車構想に対応した、実用的なリアエンジンモデルだった。スタイリングはドイツのバブルカー、ゴッゴモビルの影響を受けている。市場での人気は獲得できず早々に生産終了。後継車としてコルト600が登場した。#車小噺

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