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ラスト、八代城。比率だけなら小倉や仙台を上回り、調査した42城下町の中で、もっとも十字路の比率が高くなった。ただし外郭虎口(東)から大手門(南)まで目抜き通りの順路通りに進むと8回屈曲させられる。
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった (11)
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徳島城。道の方向はエリアごとに変わっているが、そのエリア内での直交は固持されていて十字路は多い。そして門の前の謎の池。見透や射線を遮断するわけではないが、ともかく直進は妨げてる。おもしろい。
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広島城。やはり碁盤目を志向している。町割は毛利時代。
京都的な町割であるものの、河口の三角州という京都とはかけはなれた地形が選ばれてるのが興味深いところ。
#近世大名は城下を迷路化なんてしなかった (8)
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福山城。南に碁盤目崩れ。なぜなら城完成時に南は湿地だったから。干拓終了は20年後。「干拓が終わった部分に住居ができ道ができる」を繰り返した結果、食い違いが生じたと考えるべき。東西は碁盤目があるのだから。
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松阪城。正保時点の道は悪くないという衝撃。十字路の割合は平均を少し上回った。電光型街路もあるにはあるけど、少し。蒲生氏郷さん、町割ヘタの汚名返上あるでコレ!
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