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#明日使えそうな戦国時代小ネタ
宮本武蔵が島原の乱で投石を受け負傷した話は有名だが、その武蔵が世話になった細川忠利の父・細川忠興も投石で負傷している
初陣となった松永久秀討伐戦、大和片岡城攻めで投石が頭に直撃
傷跡は後々まで頭部に残っていたらしい
@dousetumiki 細川忠興「重箱の蓋の隅を少し開けておくのが秘訣ですね
ちゃんと閉じたら中の物の息が詰まる」
ガラシャ『嫁さんは?』
「男の目遮断して雁字搦めに偏愛して実家が謀反しても離縁しない」
『死ねば良いのに…!』
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
加藤清正家中では酒の席で刀を抜くと死罪になる
如何なる理由があっても問答無用で切腹になる
当時は酒の席で些細な事で死人が出る喧嘩に発展することも少なくなかったためだと思われる
#加藤清正七箇条
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
上杉景勝が無口なのは有名だが上杉陣中も無駄口は御法度
「粛然と言わず、ただ旌旗狼煙金鼓(法螺)貝に従うべし』という謙信時代の軍律を遵守したため
上杉軍は行軍時に足音しか聞こえないと評判だったらしく、徳川家康も評価している
@hieda02rou 享禄天文の錯乱を始め本山と北陸は同床異夢の関係ですが、江戸幕府が肩入れしなくてももうこの頃から既に東西分裂の兆しが見えているのが興味深いです
信長の野望シリーズは私ら初心者を戦国歴史に誘いますが越中一向一揆が実装されるのはいつになるのやら
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
福島正則が母里太兵衛に名槍「日本号」を呑み取られたのは黒田節にもある話だが、後藤又兵衛にも喧嘩を売っている
「黒田家の右筆は字が下手だ」と正則が又兵衛に書状を突きつけたが
『黒田家の右筆は送り先の家柄で字の優劣を変えるのです』
と見事に切り返された
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
細川忠興はある家宝を取得して逆に大慌てしたことがある
蒲生氏郷家に伝わる「佐々木高綱の鐙」で、忠興が欲すると氏郷があっさり譲って寄越した
喜びを通り越し後悔した忠興が返却しようとしたが氏郷が受け取ってくれず、仕方なく氏郷死後に蒲生家へ返したらしい
北条氏康『令和四年…寅年も残り僅かだぞ、長尾』
上杉謙信「行く年来る年だな、伊勢」
『確かお前は年男…年女だったな』
「生まれも寅の刻で没年も寅年だぞ」
『寅年の内に流行りの虎皮ビキニとかしなくて良いのか』
「中の人にない画力を求めてはいかんぞ」
『そうだな(落胆』
「少しは隠せ」
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
天皇の宸筆(直筆)は買うことが出来た
後奈良天皇(在位1526〜1557年)の朝廷は赤貧に喘ぎ、天皇は直筆のサインを書いては禁裏の軒先で吊っておいた
欲しい者は幾許かの銭と引き換えに貰えたので実質は宸筆を売っていたことになる
#即位式が金欠で十年遅れた天皇
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
浅井長政・久政・朝倉義景の泊濃髑髏は内輪だけの見世物だった
天正二年(1574年)正月に披露された有名な金色髑髏だが、公家衆や他国衆が帰ったあと、馬廻衆(親衛隊)だけの二次会で『珍しい肴』として出て来た
その後は歌え飲めで普通に盛り上がったらしい