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水上戦闘機「強風」一一型
製造会社 : 川西航空機
制作年度 : 1940年
エンジン : 三菱「火星」一三型
馬力 : 1460馬力
最高速度 : 488km/h
上昇限度 : 10560m
航続距離 : 1056km
飛行艇設計の古強者、菊原静男が設計!
菊原は、戦後に日本メーカー開発の旅客機 YS-11の設計に携わる。
一七試局地戦闘機「閃電」
三菱重工業 1942年製造
三菱「ハ43」四一型エンジン 2200馬力
最高速度 : 759km/h
上昇限度 : 12000m
航続距離 : 1500km
「閃電」は、1939年に試製計画が立案されたが、
戦局が圧される1944年10月に試作中止となってしまった。
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1943年軍令部参謀に着任した源田実中佐の発案に、鶴野正敬技術大尉が技術的な裏づけをして、前翼型戦闘機のプロジェクトが動きだした。
追い込まれた海軍を救うべく、技術者達は異常とも言える短期間に、工夫に試行を重ねて試験飛行まで実施。
だが敵空爆により発動機開発が遅れ、終戦を迎えた。
"JINPU"
1944,the navy had to intercept B29 mandatory.
Kawanishi's answer to "a problem of over 667 km at 10000 m" was "JINPU".
The beautiful airplane passed the mock test.
However, the production plan was stoped.
History might have changed a bit if "JINPU" was produced.
一八試甲戦闘機「陣風」
戦局は終末、海軍はB29の迎撃が必須であった。
「10000mで667km以上」の難題に川西が出した答えが「陣風」であった。
美しい機体はモック試験を通過、エンジンが待たれた。
しかしながら、戦局厳しい中で生産計画はリストラされる。
陣風が生産され、B29を迎撃していたら。
『艦上戦闘機「彩雲」一一型』
彩雲は、エンジンの馬力不足を補う為、正面積と翼面積を小さくし、剛性を高くするなど高い空力技術が投入されて、600km以上の最高速度を達成し、戦中に偵察機として活躍した。
戦後、アメリカ軍の燃料やオイルで実施した速度計測では694.5kmを計測した。
『零式艦上戦闘機二二型』
三二型が、二一型を改良し、空母搭載の為、翼幅を小さく、航続距離を削減したことを、全体戦略として補填する為、二二型は三二型を元に翼幅を広げ生産された。零戦に多くの型が存在することは、その大元となった機体設計が優れ、多くの試行がなされたことを物語っている。
『陸上爆撃機「彗星」四三型』
彗星は当初「艦上爆撃機」だったのに、四三型はなぜ「陸上爆撃機」なのか・・
そう、彼女たちは着艦できない。
そして爆弾を搭載しながら、投下扉がない。
防弾ガラスも、操縦士を守るためではない。
「特攻」の為に設計改良され、量産されてしまったのだ。
「日本からアメリカ全土を攻撃可能な航続距離、4tもの爆弾搭載可能」と言う要求で設計された大型陸上攻撃機「連山」は、設計上は達成しうる優れたものとなるはずであった。しかしながら、戦局の悪化による資材不足はいかんともしがたく、多くの欠陥を抱えた試作機を完全体にすることはできなかった。
『流星改』
「戦闘機並の攻撃力、爆撃機並みの搭載力、魚雷発射可能、生産も修理も容易、防御力高く、長距離航行できる戦闘機を作れ!!」と言う無茶な命令に対して、開発された「流星改」は、
これらを備えた戦闘機である。
しかしなから、「8月15日の最後の特攻機」と言う悲しい実績が残った。