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砧打という木槌で叩いて繊維を柔らかくする仕事は、女性も広く携わっていましたが(左:「花容女職人鑑」文政期 国文学研究資料館蔵)、「近世職人尽絵詞」(右:Image:TNM Image Archives)では男性の職業として描かれます。なぜ女性は「職人」ではなくなっていくのでしょうか。
一方扇売りの「本座」は男女混合の座で、最有力者は布袋屋の玄了尼という女性でした。彼女の持つ権利は養女の「鹿子女房」に譲られました。中世の女性は経営者として公的に認められていたことがわかります。図は、「東山名所図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)の第6扇上に見える扇売りの女性です。
田植は、#ジェンダー展 の一つの通史的なテーマです。中世では、女性によって行なわれる事が多かったようで、「月次風俗図屏風」(東京国立博物館蔵、16世紀)には、現在でも中国地方で行なわれている「花田植」のような場面が描かれています。男性が囃し、美しい服を着た早乙女が苗を植えています。
『古事記』下巻 敏達(びたつ)天皇段
712年成立 江戸時代写 国立歴史民俗博物館蔵
敏達天皇のキサキとその生んだ御子を書き上げた部分。「娶」は「ミアヒて」と読んだはずである。
#ジェンダー展 にはユネスコ「世界の記憶」山本作兵衛の炭坑記録画3点が出品されます。筑豊炭鉱の鉱山労働者は、夫婦一組で前山・後山として働きました。「入坑(母子)」(個人蔵、1899年頃)は、母が背負うと幼児の頭を坑道の天井に打ちつけてしまうため、子守役の息子に背負わせる様子を描きます。
巫女といえば女性をイメージする方が多いでしょう。しかし京都の祇園社で神楽を舞った「片羽屋神子(かたはやみこ)」には男性も女性もいました。16世紀後半頃から女性神子が減少し男性中心になりますが、その頃描かれた「東山名所図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)には男女の神子が描かれています。