//=time() ?>
1945年3月21日 14:25
「第一回神雷桜花特別攻撃隊」
第721航空隊の陸攻18機が、米戦闘機(グラマン)50機と空戦。桜花1機の発進もないまま陸攻とともに撃墜され全滅。第203航空隊の零戦隊は、身をもって護衛戦闘に務めるが大部分が自爆。
未帰還:陸攻19機・桜花15機
零戦10機以上。戦死160名
1942年、昭和17年12月31日
ガダルカナル島撤退
御前会議において「継続しての戦闘が不可能」としてガダルカナル島からの撤退が決定された。ガ島に上陸した総兵力は31,404名、のちに撤退できたものは10,652名。戦闘による戦死者は約5,000名、残り約15,000名は餓死と戦病死だったと推定されている。
1941年12月8日
03:35、水平爆撃隊が、停泊中の戦艦群に対して攻撃を開始。同編隊は慎重な照準を行ったため照準を三回もやり直したものがあり、そのため爆撃は予想以上の命中率をあげた。
#ハワイ作戦
1941年12月8日
01:30、第一次攻撃隊・上空警戒機が発艦を開始。(艦戦43機、艦爆51機、艦攻89機、計183機)
機動部隊は直ちに針路180度、速力20ktに復帰し更に南下を開始。
#ハワイ作戦
1877年、明治10年9月24日
西南戦争終結
九州各地の戦いに敗れた西郷軍は薩摩まで撤退し、鹿児島にある城山に籠城した。城山はたちまち政府軍に包囲され、この日、政府軍は最後の総攻撃を実施。西郷軍も敵陣地に突進するも敗退し、西郷隆盛も深傷を負って自決した。これにより西南戦争は終結した。
1945年7月25日 本土爆撃
05:40~15:00、米機動部隊艦載機950機、西日本一帯に来襲。この日も呉地区が攻撃され、軍港・航空基地などの施設に被害が生じた。
1945年7月24日 本土爆撃
半田空襲
10:38~、米第20空軍B-29 77機、半田市内の中島飛行機半田工場を中心に爆撃。主目的だった半田製作所は、本工場へ81発、山方工場へ35発の爆弾が投下され、壊滅的な打撃を受けた。直後から、小型機による機銃掃射を浴びせて救援活動を妨害した。
死者264名。