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1945年4月12日 11:05~11:55
百里航空隊・宇佐航空隊
姫路航空隊
九七艦攻22機、串良発進。
沖縄周辺の米艦船を攻撃。
未帰還19機。
#菊水二号作戦
1945年4月2日 沖縄戦
14:00頃、米第7師団第17連隊が、中城湾沿岸部まで到達し、沖縄本島が北部と南部に分断された。第17連隊は、さらに湾一帯の海岸に偵察隊を派遣した。
1945年3月24日 沖縄戦
07:00頃~、米艦載機延べ約600機が沖縄本島に来襲。さらに大東島には59機、奄美大島には12機、宮古島には50機が来襲した。
1945年3月21日 14:25
「第一回神雷桜花特別攻撃隊」
第721航空隊の陸攻18機が、米戦闘機(グラマン)50機と空戦。桜花1機の発進もないまま陸攻とともに撃墜され全滅。第203航空隊の零戦隊は、身をもって護衛戦闘に務めるが大部分が自爆。
未帰還:陸攻19機・桜花15機
零戦10機以上。戦死160名
1945年3月18日 04:40
第501攻撃飛行隊 銀河10機
陸軍飛行第7戦隊 重爆12機
鹿屋・築城・大分発進。
九州東方沖の米機動部隊に特攻攻撃。
未帰還3機。
1945年3月16日 硫黄島
*玉名山付近での戦闘
武蔵野中尉以下百数十名は、組織的戦闘が終了した後も米軍の投降に応じずゲリラ戦を継続。4月19日頃には、水と食糖を確保するため奇襲攻撃を繰り返していたところ、潜伏先の壕が米軍に発見され火焔攻撃により約150名が戦死した。
1945年2月23日 硫黄島
*摺鉢山陥落
閉鎖された摺鉢山山麓の地下洞窟陣地入口を内部から開通させることに成功させ、一部の人員を弾薬による陣地爆破のため洞窟内に残し、陸海軍約300名の主力による北部合流のための総攻撃を実施した。
1945年2月19日 硫黄島
*中地区隊
しかし制海空権は米軍側が確保していたため、米軍の圧倒的な艦砲射撃と銃爆撃により守備陣地にいた将兵は射撃する余裕もなく、接近する米軍に向かって突撃しなければならない有様であり、守備隊の損害は増大する一方であった。