Shishnarfneさんのプロフィール画像

Shishnarfneさんのイラストまとめ


お花畑を逍遥する文弱の徒。言葉を通して言葉を克服すること、言葉に依らずに世界を認識することについて考えています。その時々の気紛れにより、ホラー映画(バーヴァ、アルジェント…)、K-POP、ドイツ哲学などについて語ることもあります。
English, русский язык, Deutsch, 한국어.

フォロー数:248 フォロワー数:314

『哀しみのベラドンナ』(25)

この聖霊のイメージに基づいて、ジャンヌが(言わば「教会」となった)女達の中で復活し、それが生活を変容させ、革命運動へと発展していった、と解釈することも一先ず可能ではある。しかし劇中では、違った形の集合的身体も提示されていたことを忘れてはいけない。

0 0

『哀しみのベラドンナ』(24)

他方で、十字架に縛り付けられたジャンヌの姿はキリストを思わせるが、煙となって女達の中に流れ込む彼女は聖霊を想起させる(使徒行伝2:3「また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」)。

0 0

『哀しみのベラドンナ』(21)

それ故ジャンヌは敢えて火刑にされることを選んだのだ。それは熟した木の実が弾けて、種を撒き散らすようなものである。火焙りにされた彼女は輪郭線を解くと、線となって女達の顔の線へと流れ込んでいく。なぜ女達なのか?

0 1

『哀しみのベラドンナ』(18)

そのことは変容したジャンヌが、色鮮やかな線によって描かれている事からも分かる。ここでは最早、線と色面の区別は撤廃されている。更にこの場面の後、悪魔は(宴に参加していたとは言え)二度と言葉を発することがないという事からも、両者の一体化は明らかである。

0 0

『哀しみのベラドンナ』(17)

荒野で悪魔と交わったジャンヌは凄まじい幻覚を見るが、そこから我に返った後、自分が美しく変容していることに気が付く。この時点で彼女と悪魔は一体化しているーもしくは彼女は自分の中に眠る力を完全に認識するに至っている。

0 0

表示するにはログインして設定を変更してください。

2025-01-05

『哀しみのベラドンナ』(13)

その結果、登場人物の身体は文字通り糸(もしくは帯、アラベスク)状になって絡まり合うこととなる。こうした個別的身体の解体と再結合は、ジャンヌが民衆を前に荒野で宴を開く場面と、ジャンヌとジャンが荒野で再会する場面で起こる。

0 0

『哀しみのベラドンナ』(12)

これは冒頭に現れる大聖堂のステンドグラスも同じである。刺繍もステンドグラスも、輪郭線で囲まれた静的身体(ひいては静態的社会)を理想化したものだが、ジャンヌの力(繊維状の悪魔)はそれらを撹乱する。悪魔はあらゆる境界線を解き、あらゆる形態を変形させる。

0 0

『哀しみのベラドンナ』(7)

シーレ風の様式は特に目に付くものだが、この映画ではそれ以外にも多くの絵画イメージが引用されている。例えば、悪魔のサバトの場面ではブリューゲルやボスのイメージが参照され、最終カットではドラクロアの『民衆を導く自由の女神』がクロースアップされる。

0 0