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今年も秋の政変月間的な時期がやってきますが、その前哨戦みたいな藤原広嗣による玄昉&真備排除上表文です。『群書類従』所収の「松浦廟宮先祖次第并本縁起」にその上表文が見えますが偽作説もあるとはいえどそれなりにこんな感じだったんだろうなあと思わせられます。
毎年毎年「大伴宿禰家持死」の「死」が刺さるぅ…!というわけで大伴家持忌日です。死後に連坐してる割には一応経歴載せてくれてるだけましなのかな?という気も。この事件が無ければ万葉集も状況が変わっていたかもしれませんね。
ここに出てくる百済の王=豊璋ですが、この後高句麗に逃げたもののその高句麗も滅ぼされて唐に連行、嶺南地方に流罪となったとのことです。(行方知れずとも)
玄昉は天平七年に唐から帰国し、真備同様にどんどこ出世していきますがこの年に聖武の母宮子の看病をしたことでピークを迎えますね。
疫病流行もあり、こういう不安定な時期だからこその出世とも言えるかも。