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ポニコンお疲れ様でしたー
また次も参加したいですな
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#japanponycon #ポニコン
@P_Peregrine
【生活 9】
宴や宴会などなければ7時には寝ていました。
たとえ遅くとも9時には寝ていたそうです。
宴会は和歌の読み合いがあるので自分の才能をひけらかす貴族の絶好の機会だったそうです。
そしてトワイに戻る
@P_Peregrine
【生活 6】
お昼になれば基本的に仕事は切り上げ、皆遊んでいました。
当時遊びは、その優劣によって出世が決まるほど大切なことだったので、必死になって遊びました。
羨ましい……
@P_Peregrine
【生活 5】
占いや食事、着替え等身支度が済めば仕事、子供は勉学に励みました。
勉強は漢文や算術、仕事は政治や女房(朝廷や貴顕 の人々に仕えた奥向きの女性使用人)としてお仕えし、働いていました。
@P_Peregrine
【生活 3】
平安時代の朝は早く、3時には起き始めていたようです。
起きた後、前日の日記を書きます。
なぜ寝る前ではないかというと、陽が顔を出してから次の日が始まるので、現代とは1日の感覚が少し違います。
@P_Peregrine
【生活 2】
当時時間は24時間という数字ではなく、「子丑寅卯辰巳……」と、1日を12分割した「12辰刻」と呼ばれる時間でした。
@P_Peregrine
【遊び 6】
そして詩歌を作ること。これは最も基本的な素養が求められます。
貴族にとっても当時紙は非常に貴重で、ただ単に何かを書く時には木簡を使っていました。
そして徐々に紙が普及していくことになります。
@P_Peregrine
【遊び 5】
これは「偏つぎ」というゲームで、偏と旁を扱って和歌や感じの知識を競い合う遊び。
特に子供や女性に親しまれた遊びですが、実はあまりルールややり方が解明されていない遊びだとか。
@P_Peregrine
【十二単 7】
今回唐衣の裏にしか描きませんでしたが、全体に「文様」がありました。
各衣、身分、季節によって違い、例えばフラタの菱形から「繁菱」、「宝相華」「藤立涌」「入子菱地紋八藤丸」など様々ありました
@P_Peregrine
【十二単 6】
実はトワイだけ少々服装が違い、他の5匹の十二単に加え領巾、裙帯、宝冠をつけています。
これは厳儀の式に着たり、より身分の高い方にお会いする等の時に着られた十二単の最高礼服「物具装束」です。