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ジェイコブ・モアの《大洪水》(1787)も「啓示なき終末」を描いた点でメイヤスー的な「神の不在」と結び付けられています。ジョルダーノが『コロナの時代の僕ら』で述べたように、自然破壊と大量消費による疫病リスクの増大は、やがて本当にモアの黙示録的世界を招来することになるでしょう。
とりわけジョージ・フレデリック・ワッツの《希望》(1897)がメイヤスーの「亡霊のジレンマ」に結び付けられているのは興味深いです。ワッツはメイヤスーと同じく絶対的偶然性(ハイパーカオス)の力にこそ、この宇宙の真の秩序を見出していた先駆的な画家でした。
当初「自己意識」章までで完結させる予定だった『精神現象学』原案は、イェーナ時代のナポレオン侵攻や経済的困窮による自死の誘惑と隣り合わせでしたが、若きヘーゲルはむしろこうした外的かつ内的な危機を著述に活用することで、新たに「理性」章を加筆し始めました。今こそ模範にすべきエピソード。
【擬人化されたコロナウイルス】
ペスト時代は「死の舞踏」が画題として流行しましたが、早くも世界各地でバラエティ豊かなウイルス表象の「キッチュ化」が見られる模様。
①②米のグラフィックデザイナー、ルーク・ヴァレンタイン制作
③タイのマスコット
④ボリビアの等身大キャラクター
2001年にニューヨークで個展《Phlegm》(粘液質)を開いて衝撃を与えたマニラ在住の現代画家ホセ・レガスピ。カトリックが九割を占めるフィリピンらしい、異議申し立てとしての芸術的実践だと思います。恐怖、メランコリーをテーマに、初期ルドンをさらに悪夢化したかのような世界で知られます。
美術に詳しい方ならご存知の方もおられるでしょうが、このトリプティクは構造的に閉じた状態が「磔刑」に、扉を開いた状態が「復活」に対応します。画家は最初からこの「開く」という手動の操作によって、自然に観者が復活を目の当たりにして驚嘆することを計算していたとされています。
『アサイラム・ピース』の文庫化で再びアンナ・カヴァンが注目されているが、カヴァンが絵描きでもあった事実は日本ではまだあまり知られていないのではないか。『氷』の有名なヒロインもカヴァン自身が独特な筆致で描いている。彼女にとって制作行為は同時に自己治療でもあった。
去年撮影したアルバムを眺めていて、やはりこれは......そろそろスマホから消しておこうと思う。エレベーターで8階まで上がってきてわざわざ手を降って笑う動作までしてくれたのだが、ホラー以外の何ものでもなかった(コスモスクエアにて)。