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妖精郷での夕べの論争が頭から離れないのは何か意味があるのだろうか?と自分の不都合な真実を受け入れるために内照してみたのだ。妖精郷が大好き過ぎで、私の理想みたいなモノを投影しすぎかも知れないというエゴがあったことに気がついたのだ☆彡良くも悪くもありのままを受け入れることにするのだ
嫌な仕事なら頑張らず逃げた方が良い
後好きでもない仕事に就くのも駄目である
精神衛生が悪化して最悪私のように働けなくなるのだ
これはサービスする側もされる側も不幸なのだ
イヤイヤサービスされたらお客様は喜ばないのだ
仕事で不幸になってる間にも月と太陽は動き続けるのだ
私が仕事を辞める理由は二通り、仕事が障がいの特性でどうしても覚えられないときと、どうしてもやりたい仕事が出てきた時なのだ、後入院もあったかな?
どんな仕事も「こんな仕事」とか「俺はこんなもんじゃない」とか考えずに集中すると楽しくなってくるのだ
仕事の考え方で熱い議論をしてしまい頭が興奮して寝るタイミングを外してしまいましたのだ
内容としては仕事は楽しくないと続かないと仕事は人の嫌がることをしないとお金にならないであるw
最近の子は仕事=嫌なモノとして捉えてるようなのだ。
転職回数多いけど仕事が嫌でやめたことはないのだ
ワールド、アバター、YouTube、Twitter、Facebookで、いっぱいフォロー、いいねが欲しい場合、上手く行ってる人のTTP(徹底的にパクる)をするのだ(^_^;)
でも、それ自体は意味が無かったりするのだ
要はやってる本人が面白いかどうかで判断した方が良いのだ。人生の時間は4000週間しかないのだ
自分サイズの幸せは天才を目指さなくても手に入るのだ
いつも手の届かない目標に向かい続けて挫折感でいっぱいの人生より。ちっちゃい目標を置いて成功体験を続けた方が満足度が高いことは、いろいろな本でも周知のことなのだ。
この満足感が次のステップへ向かう活力になったりするのだ
やりたいことができるようになるまでは、模倣しましょう。真似すること以外で、オリジナルを作り出せたいうのは歴史上ありませんのだ。オリジナル作品を発表してなんちゃらにそっくりだねと言われたら、まだ模倣の度合いが足りないのですのだ。やり尽くした先に真のオリジナルの要素がやってくるのだ。
芸能人、芸術家、作家、漫画家を見て目指したいと思ったら、こう考えてみると、冷静なれるのだ。世に言う天才というのは、人類の歴史上数えるほどしか現れていない。自分はアインシュタインのような存在を目指したいのか?それとも自分サイズの幸せを享受して生きたいのか?前者はかなり無理ゲーなのだ
常に友達とSNSで繋がってやりとりしてないと、疎遠なって友好関係が切れてしまうと思うのは友達を信用してない証拠なのだ。
何がなくても友達なら、ちょっとしか会えなくても友達に変わりないのだ。
現代人は何もしない、隙間時間が必要なのだ
この何もしない隙間時間は、車で例えれば車間距離のようなもので、脳が情報過多で疲れないためのモノだったりするのだ。なので隙間時間はスマホをするのではなく、見慣れた風景でも、じっくり観察するようにすると良いのだ。これだけで疲労度が全然違うのだ