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そんなわけで、蠣崎蔵人の復習のお時間です。蝦夷地の歴史を通して調べようとすると、「蠣崎蔵人」が二人いることにぶちあたるかと思います。細かいことを言えば蔵人を名乗るのは他にもいるんですが、主にぶちあたるのがこのへんかな~と。「信純」は東北太平記が出典元なので確証のほどは微妙です。
お気に入りの勘解由さんを置いていきます。松前勘解由さんはご本人の写真も残っているのですが、赤崎版ではすっかりツリ目になりますた。崇廣の没後は正議隊のクーデターを受けて免職、反撃に出ようとするも他の家臣にとがめられて中止。最期は自刃。
#歴創版日本史ワンドロワンライ
お題【開国】
箱館へ来たペリーの対応をした松前勘解由さん。
ペリーの要求をのらりくらりとかわしたその話術は、コンニャク問答として幕府からも称賛されたとか。藩主崇廣の側用人を務めたのち、家老へ就任した人。蠣崎波響(廣年)の孫。