//=time() ?>
#これを見たら好きな絵とその画家を紹介する
Leonora Carrington
「七〇歳以下の人間と七歳以上の人間を信用してはだめよ。猫でもないかぎりね。」
―レオノーラ・キャリントン 野中雅代訳『耳ラッパ』より
#名画で学ぶ 司書
返却本に書き込みやページのゆるみがないかチェックしていたら、天の一部に微妙に水ぬれのしみを見つけてしまった。
絵:Vittore Carpaccio「The Virgin Reading」
大鴉地を飛び立てり まつすぐな妹の火の種を持ち去る
―森島章人『アネモネ・雨滴』
写真:Crystal Lee Lucas
https://t.co/2lgAsFIJNk
白い雪の上の血。罪なきことと、悪と。悪そのものが純粋となるように。悪は、苦しみ、それも罪なき者が苦しむという形をとらないかぎりは、純粋でありえない。苦しみの中にある罪なき者は悪の上に救いの光をそそぐ。
―シモーヌ・ヴェーユ 田辺保、川口光治訳『カイエ2』
写真:Polina Washington
そういえば「西洋から見た東洋の神秘性・幻想性」を感じさせる作品として真っ先に思い浮かぶのがアンデルセンの「夜なきうぐいす」。デュラックの挿絵は、いやはての幻想の国としての東洋の雰囲気を伝える、魔法の窓。
レメディオス・バロはシュールレアリストと言われているけど、絵そのものは物語性に富んでいて、本の装画として見かけることも多い。
①鳥の創造:『短篇小説日和』
②螺旋の回廊:『百年の孤独』
③星粥:『月ノ石』
星に、見える要素以上の見えない実体を与えるのは、わたしたち自身である。見つめる作業と名づける作業を通じて。
―チェット・レイモ
そのとき、より高みには星々。あたらしい星々。悩みの国の星々。
しずかに「嘆き」はそれらを名ざす、―わたしの指すかた、
あれをごらん。その名は
―リルケ
あの紫は
お池の杜若
水の面に、手が、咲いている。
一つ橋渡れ
二つ橋渡れ
三つ四つ五つ
儚い青い葩は、夕映えと色が溶けあい、紫に染まりながら、
杜若の花も
六つ七つ八つ橋
―皆川博子「あの紫は」
写真:Natalia Drepina
68.レオノーラ・キャリントン
『耳ラッパ』
『恐怖の館』
『Leonora Carrington: Surrealism, Alchemy and Art』
とにかく耳ラッパはいいよね、おばあちゃんたちが突き抜けてるよね。でも「デビュタント」の少女もいい。3冊目は画集。