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Amictica sal vitae.(新アカウント)さんのイラストまとめ


旧アカウント@boots_fleck アドレスが使えず、ログイン出来なくなり、新しくアカウントを作りました。 欧州の中世史(時代や国の範囲アバウト)に少しだけ興味(初学者以下です)があります。また、Twitter歴史サロン『サロン・ダルメ』に末席ながら所属しております。

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あとは、こういう近世・近代間の絵とかね。

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補足としてこの動画で使われてるBrestplateの胸元のV字についてツイートします。

以前にもツイートしましたが、これについては様々な説があります。

V字とは、添付画像のようなアレです。 https://t.co/TTlNej8dlt

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少しづつ騎兵戦闘が進化するにつれ、大体12世紀にはこれらとは異なる構え方が現れ始めます。

1枚目の画像(1136年のもの、ほかも20年代から50年代まで)には、すでに脇下に構え脇に近づけて固定し、衝突に備え足を前に投げ出した様子を見ることが出来ますね。

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この主張では

大皿

各人テーブルの窪みに取り分けて食う

テーブル痛むからパン使った

で?その出典は?って話だよね。

そもそも中世はテーブルクロスあるし(ローマ時代からある)、テーブルの窪みに入れて食うの、無理だと思うのだよなぁ。

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特に人類でも初期に猫に関わっていたといえるエジプトでは、猫を訓練してしばしば狩猟に使いました。

その猫たちは水場を恐れず、水場の茂みに飛び込んでいる様子をしばしば観測できます。

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一応、真正面のタセット的なやつとか、なかったわけではないんですよね。

ぜんぶ14世紀後半以降ですけど。

残ってる現物もそれを示す文書史料もないから、ただの絵とか言われても全く反論できない(笑) https://t.co/6mgbgKyQhK

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は必要性を感じていなかったとはいえると思います。

ただし、股間部の装甲については1370年代や1410年代にはこのような騎士の姿も見られ、このころの騎士たちは股間を必ずしも固めていなかったわけではないとはいえます。

それ以前はサーコートや垂らしたメイルなどで股間の詳細は全く分からず、

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実際、ああいうタセットは1370年代や1410年代にもないわけじゃないですよ。

現物はないけど、絵などに少しだけその痕跡があります。

ただし、これが真実かは……現物がない限りわからないですね。

ちなみに、1370年のピストイア大聖堂(一枚目)の戦士たちはクールブルクアーマーの研究にも

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私もかなり受け取り方が不用意だったのですが、股間を守る防具というのは、写真一枚目のこういう前掛け的な防御法ではなくて、二枚目以降のこんなんみたいなそれのみを目的としたものってことですかね?

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