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趣味の彫刻史。さんのイラストまとめ


趣味でやっている近代日本彫刻史ノートです。RT多いです。野外彫刻については、銅製じゃなくても像じゃなくても便宜的に「銅像」と書いています。絵葉書は特にことわりがなければマイコレクション。未調査の銅像や作者不詳の作品について情報提供していただけましたら幸いです。

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《湯浅為之進像》(1932年建立、51年再建)郡山市・寿泉堂総合病院前にて。

初代院長の胸像。湯浅報恩会HPに建立時の写真が載っている。
https://t.co/spMhIInvwM

2010年の新館完成にともない現在地へ移設されてきたようだ。
https://t.co/bNbFicfSeP

2016.7.1撮

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北川太一さんにはたくさんの著書があるが、この本を見たという人にあまり会わない。

こつう豆本『光太郎凝視』(日本古書通信社,1994)

旧著のあとがき三篇を集めたものだが、吉本隆明『高村光太郎』のあとがきについては、紙幅の都合で削っていた少年時代の回想部分を最初の形で読むことが出来る。

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青森大空襲犠牲者の慰霊のため、元青森県知事・金井元彦の発願により建立された。

かろうじて撮影した銘は「昭和」「慶」と読めそうか。

2019.9.20撮

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木製原型番外編

栃木県さくら市・光明寺
《不動明王坐像》

宇都宮藩御用鋳物師の戸室卯兵衛が
宝暦9年に鋳造。2008年に修復。
さくら市ミュージアムに4m近い高さの木型が現存している。

近世の仏像原型の現存は珍しいのかな?

📗『さくら市の文化財』(さくら市教育委員会,2009)

2009.10.25撮

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1967年に読売新聞社が関係者から譲り受け、よみうりランドで公開。08年の筥崎宮寄贈に伴い修復、11年より公開されたが見え難い。

2019.5.6撮

📗國生知子「木造亀山上皇像(銅像原型)の修理と成果」
https://t.co/mKSzo6YEHm

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『寄付者芳名録』出現は予想外だったようだが、『大楠公六百年祭銅像建設除幕式記念:大楠公』(神戸新聞発行所,1935)に記録されていたこと。
それに自社のことで<当時の神戸新聞社が同市に寄贈したとみられる>はない。これも記録されています。 https://t.co/sAu9OAepvG

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東京大学総合研究博物館『博士の肖像』(1998年刊)に同大医学部病理学教室蔵の《長与又郎像》がとりあげられた時は作者不詳となっていた。その後 と判明。
広田肇一『日名子実三の世界』(思文閣出版,2008年刊)でも昔の写真を挿図に解説がなされている。

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ネットオークションで加藤清正の銅像の絵葉書を見かける。
名古屋市中村公園にあった像と、高山市法華寺にあった銅像。名古屋市のは、1960年清正公奉賛会により妙行寺境内に新たな像が建立されている。
ともに  、いつ建立かわかりません。誰か知りませんか?

 

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『世界をめぐる吉田家4代の画家たち』(三鷹市美術ギャラリー,2009)より、下落合にあった吉田博邸の写真。
右側の裸婦像は、#藤井浩祐 《鏡の前》(1911,第5回文展3等賞)
左側にある子供像は、#北村西望 《栗》(1916,第10回文展)
と思われる。吉田と藤井は太平洋画会繋がりだろうが、北村は意外。

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『鹿子木孟郎史料集』余談。鹿子木日記から、謎が一つ氷解。
『吉田博展』(毎日新聞社,2016)掲載写真で、満谷国四郎の渾名が「満谷キンタマ」となっていて夜も眠れないほど気になっていたのだが、彼がイギリスで睾丸の治療を受けたことが理由であったようだ。一体何があったのやら。大変でしたね。

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