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上記を纏めると。
- 狛犬は飛鳥時代 (AD592~710)に列島へ入った。
- 日本書紀によると、少なくともAD548から高句麗を「狛国」として認識していた。
- 新撰姓氏録によると、高句麗人自らも「狛」としての認識を広く見られる。
狛犬は、明らかに。高(句)麗(BC37~AD668)からやってきた。
ここで一歩戻り。この暦に。遊牧文化の匈奴 (BC300~AD100前後) は「龍」を中心にアイデンティティを形成したように見える反面、後のトルコとモンゴルは「オオカミを」中心にしている点を明かすかもしれない面白い痕跡を発見した。
そこで。今よく「十二支」と呼ばれるものがる。
東アジアに住んでいる人なら、これが「年」毎の「時間」を表す概念としても使用されていることは、常識である。
同時によく「中国のもの」とも認識されている。
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ローマ帝国は結局AD1453に崩壊する。
しかし、ローマのオオカミは、現代イタリアのサッカーチームの「ASローマ」などを通して、今も生きていて。
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上記を考えると。匈奴・フン族の流れは、東の中国 (漢)の司馬遷 (史記の編纂者:BC145~90前後)、それと西のローマ (AD90前後)、両方に観察されたとなる。
今の多くの人は文明を、東・西、に分けたがるが。2000年も前からユーラシア大陸の東西の鏡に同時に映っていた人々もこう広範囲に存在している。
「アッティラ」(在位AD434~453) の死の際の紹介文が印象深い:「フン族の指導者であり、前代未聞の力を持つスキタイとゲルマン領域の唯一の所有者、ローマ世界の両帝国まで恐怖に震わせた」