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谷崎潤一郎 「秘密」に、きっと明治の人々は酔いしれたことでしょう(;^_^A
物語の主人公「私」は
ある日、古着屋で見た女ものの着物が着てみたくなるのです。
そして、「女に擬態した」私は、夜ごと街を徘徊するようになり、
女の「私」を見る人々の様子を観察するのです。
やばくないですか(;^_^A
谷崎潤一郎「少年」の結末を予想できる人は
地球上にはいないでしょう。
弱虫の信一が家では豹変して
なんとガキ大将の仙吉や姉を苛めている。
いじめが次第にエスカレートしていき
信一が刃物で切り付けたりもするようになる。
そんなある日、私と仙吉に
想像を遥かに超えたことが起こるのです(;^_^
太宰治「猿面冠者」
主人公は、苦悩する小説家。
彼は「文豪をこころざして失敗して
つぎに革命家を夢みて敗北して」とある。
太宰自身のことに他ならないようです(;^_^A
これを読めば、
大学生の頃の太宰の創作の様子がつぶさに分るようになっています。
岡本かの子「金魚繚乱」
「この世に存在しない美麗な金魚を創る」ことに人生を捧げる男の物語。
彼が、どうして金魚に取りつかれてしまうのかが実によく描き出されています。
そして、
細部にわたって、実に凝った仕掛けがなされています。
一文たりとも疎かにせずに読み込んでいきましょう(;^_^A
三島由紀夫「橋づくし」は
後戻りをせずに7つの橋を渡ると、願い事がかなうという願掛けを試みる芸者衆の物語。
ひとりの芸妓が、腹痛を起こして脱落します。
そこからが面白い。
次に誰が脱落するのか、スリリングに描かれています。
三島由紀夫のストーリーテリングのうまさに舌を巻きました(;^_^A
モリエール「人間ぎらい」第5幕
モリエールは、実にうまく人間の本質を描いています。
不埒な女であることが解っても、一途にセリメーヌを愛するアルセスト。
まじめだけが取り柄のようでも誠実なのです。
フィラントやエリアントが慕われるのもうなずけます。
セリメーヌへの想いは報われませんが。
モリエール「人間ぎらい」第三幕
セリメーヌのサロンに
おせっかいな女友達アルシノエが来ます。
よせばいいのに
いかに彼女が評判が悪いかを忠告しに来たのです。
案の定、技量の狭いセリメーヌはブチ切れて
アルシノエをこき下ろし始めます。
そんなドタバタの挙句に
どうなるかは、お楽しみ。
村々を流れる川を、泉鏡花はこのように表現します。
「青田の高低、麓の凸凹に従うて、この一巻の布は、朝霞には白地の手拭、夕焼には茜の襟になり帯になり、果は薄の裳になって、明神の下あたりから子産石の浜に消えて」
とても分かりにくい鏡花ならではの表現です。
川を布に例えているのです。
泉鏡花「絵本の春」
この物語は、無残に殺められた女の復讐を描いています。どういう女かと言いますと
「巳巳巳巳、巳の年月の揃った若い女」とあります。
生まれた年や月日時刻が「巳」の揃った 女と言っているのです。
へび年、4月、巳の日、巳の刻に生まれた女、というわけです。
泉鏡花「夜釣」
「女房は、まだ若いのに、後生願ひで
おそろしく岩さんの殺生を気にして居た」
ここで言う「後生願ひ」は
泉鏡花の作品によく出てくる言葉。
信心深い人は、死んだ後に極楽に行けるように願っているものです。
死んだ後の世界を後生といい、それを願うということでしょう。