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1500石積み和船 №337
千石船は正しくは弁才船 江戸経済を支えた海運の主役です。米、木綿、油、酒、砂糖、蝋、木材等日常生活に不可欠な荷物を運びました。外国船の星を頼った天文航法ではなく陸地を観ながらの沿岸航法によって航海しました。
エンプレス・オブ・ブリテン №327
1930年にジョンブラウン社クラウドバンク造船所で竣工したカナディアン・パシフィック・スティームシップ社の定期客船です。 北大西洋航路のサウザンプトン~ケベック間で活躍しました。冬季の閑散期にはクルーズ船に転用され我が国にも来航しました。
安洋丸 №303
1913年に三菱長崎造船所で誕生、東洋汽船の南米西岸航路に就航しました。
主機には減速装置付きタービン(ギアード・タービン)が初めて採用されました。
1926年に日本郵船と合併してからファンネルの意匠も変わりました。
絵画は日本郵船時代の姿です。
橘丸 №275
東京湾汽船の伊豆七島航路の客船として1935年に三菱神戸造船所で誕生 東京、伊豆大島、下田間で活躍 船体の意匠には流線形が多く用いられました。日華事変時、第二次大戦には陸軍病院船として活躍しました。1950年に復帰し73年まで同航路で活躍しました。
大和 №157
1941年に広島呉工廠で建造された帝国海軍の戦艦です。就役してまもなく連合艦隊長官旗艦としてミッドウェイ海戦、マリアナ沖海戦、サマール沖海戦時には敵護衛空母に向かって初めて46センチ砲弾をあびせ米駆逐艦ホールを轟沈。1945年4月7日、沖縄水上特攻に向かう途中に戦没しました。
ブルーダイヤモンド №122
1990年に来島ドック大西工場で誕生
ダイヤモンドフェリーの神戸、松山、大分航路に就航
「おくどうご6、8」(元グリーンアーチ、エース)の代替船として建造されました。イルカの意匠は先の「フェリーゴールド」級から受け継がれ、より大きく描かれました。