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@Ywan_Kelly 次のような作品は掲載不可(NG)です。主にイラストです。
手を加えずにそのまま掲載できる作品は、掲載をご遠慮ください(私が後日Lofterに自分の作品を上げたとして、私が無断転載したと疑われる状況を避けたいのです…勝手なお願いで申し訳ありません;)。
@Ywan_Kelly 次のような作品は、翻訳したものを掲載していただいて可(OK)です。
翻訳していただかないと中国語圏の皆様に楽しんでいただけないようなものです。貴方様のアレンジ(翻訳)が加わることで、掲載OKとさせていただきたいです。
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荀罃(じゅんおう):春秋晋の卿。邲の戦いで楚に捕らえられ、長らく楚で虜囚生活を送る。その間ストレスで髪の一部が白髪になる。でも楚の共王とは互いに心通ずる点がある。虜囚時代を一生の恥辱と捉え、慎重で厳格な言動を旨とする。軽率な若造にはキレる。
拙宅の欒書と韓厥です。
鄢陵の戦いでの勝利の後、三郤や厲公(胥童などの側近含む)を除いた欒書が、悼公を新たな君主に迎え、次の執政を韓厥に託すイメージで描いてみました。この時期の欒書を描くと、夜っぽくしたり、血なまぐささを感じる雰囲気にしたくなります…。
晋文公の車右をやってた頃の士季殿と、御者をやってた頃の荀林父さん。駆け出しの頃の士会はポニテがいいなーと思って描いてみました。
二人が同時に文公の車に乗ったことはなさげですが、文公の車に乗る上で注意してることとか情報交換してるといいなーという妄想です。
「舟中之指可掬也」で有名な邲の戦い(魯宣公12年)も読みごたえがあって面白いんですよね…! 敗戦の責任を取って死を請うも許され、後に名誉挽回する荀林父もよい…。
絵は中央が荀林父(中軍の将)、以下時計回りに士会・郤克(上軍)・趙朔・欒書(下軍)・韓厥(司馬)です。
郤克はよいですよ…!!
郤克は、裏表がなく、感情を素直に出すイメージ。故に少々アホの子っぽく見えることもあるのですが、軍事では結果を残す、できる子。
鞍の戦いで矢傷を負って弱音を吐くとこはかわいいし、捕らえた斉の逢丑父の忠義に感じて許すとこ(左伝)は好漢っぽさもある…。
『左伝』公式親馬鹿というと士会さんですが、荀首も公式親馬鹿さんです。
「甚だ此の子(=荀罃)を愛す」とド直球に言われてます(by巫臣/成公2年)。邲の戦い(宣公12年)でも、楚に捕らえられた我が子を救おうと奮戦する荀首さんが見られます。
欒書執政期の卿の人たち。
郤克の次の執政は、順番通りで行けば荀首のはずなんですが、結局執政になったのは下軍の将(第五位の卿)だった欒書なんですよね。
荀首は邲(ひつ)の戦いの頃は欒書より下位だったので、嘗て自分の上位にいた欒書に譲ったんでしょうか。
解張(張侯)は鞍の戦いで自身もけっこうなケガをしたにもかかわらず、矢傷を負って弱音を吐いた郤克を叱咤激励したかっこいい人です。詳細→『左伝』成公二年/『国語』晋語五
絵があったのでおまけに載せます(中央が解張、左が郤克の車の車右の鄭丘緩)。
…張良の祖先だったの…??