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大天使ガブリエルが、処女マリアにキリストの懐妊を伝える、受胎告知。画家は、二人の関係性、ドラマを構築するため、構図として二人の上下関係をどう位置づけるか。真実を知っている=伝える側と、教えられる側(ただし相手はマリア)である。ここでの解釈は画家に委ねられている。
M.フリードは、グルーズ《孝行》での患った義父との和解を家族全員が注目している=没入の構造を評価する。一方ブーシェの《日の出》は、誰も太陽に関心を示さず画面を埋めるための空虚な配置と批判。
抽象芸術であるカロのテーブル・ピースも、台座からの落下を全ての部分が支え、没入状態なのだ。
輪郭はどこに生まれるのか。「輪郭がある」ことは何が「ある」ことを意味するのか。「ない」ものには輪郭はないのか。マグリットの印象派に対する関心もこの輪郭の問題が関係していたはずだ。
窓の外の者たちにとって時間は遠近法と一致するが、私たちにとっては、モンタージュ的に関係づけられるようになっている。この見える見えないの関係性は、プッサン《蛇のいる風景(恐怖の効果)》に類似するが効果は対照的だ。プッサンは激情=恐怖の感染と身体の停止。マグリットは残酷さと無感情さ。
マグリット《脅かされる暗殺者》は、ある映画の影響から作品だが映画的時間への分析がある。音楽はサウンドトラックのように現在性として全体を支配する。が同時に殺害=過去と現在を切り分ける。外の者には探偵=未来で見えない。私達の視点がネタバレでないのは、未来が決定づけられていないからだ。
ジョルジュ・スーラは、昼間の中に夜のような内省を、夜の中に昼間のような輝きを与えた。明るい画面を作り出す点描の油絵に対して、コンテクレヨンによるドローイングはそのコンセプトがより明瞭に現れている。昼と夜の違いが不明瞭で、カメラの露出の調整によって昼間を夜に見せているかのようだ。