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さて。明日は映画の日ですが、明後日以降はそろそろ友人が書いた同人誌に手をつけていきたいですな。
渡柏きなこ殿
slipper殿
お覚悟を。(笑)
私、お金を払った物に対しては決して遠慮を致しません。
Twitterという物は、自分が得たい情報を得たいように編集出来る集合知の場所ですから、知らない物を知ったような気になりがちです。最近、私も自身を危うく感じますから、定期的にこう呟く事をお許しください。
「詳しい物なんざ、何もねぇ!好きな物なら、数え切れないくらいある!」
ふむ。 #わきまえない女、ですか。
《弁える》とは
【物事に存する(潜んである)けじめを、これがそうだと見分ける。弁別する。特に、道理などを十分に心得る】
という事。この《潜んである》に【(女なのだから弁えろ)を潜ませる】のは、粋では無いという事ですな。納得出来る話です。
義理人情とまとめて言いますが、義理を通す為に切り捨てなきゃならない人情も、人情を重んじる為に裏切らなきゃならない義理もあると思うんですよ。昔のヤクザ映画ってな、そこが見所だった訳でして。
《疼く浅い傷を照らす渡り廊下》
《未来閉ざす進路指導室》
行き場無く昇降口を睨む、放課後。死ぬ気なんてサラサラない手首の浅い傷。
彼女が神様をしている理由は、キャラソンに詳しい。
なあ。それでも。
言ってやれ。ヒーロー。
「君を退屈から救いに来たんだ」!
Twitterを始めるまでは
映画好き→エルフ
アニメ好き→ドワーフ
というイメージで、仲が悪いのかと思ってたんですな。
「あんな下品な奴らとは関われません」
「高慢ちきな気取り屋め」
みたいな。
ところが、実際には仲が良いどころか、ほぼ境目など無かった。
やはり、実際に見てみるものです
「私の立場で、この場で意見を申し上げますと、半ば強制という形になってしまい、自由闊達な意見交換という当会議の意義を損ねかねません。よって私は自分の語彙を制限し、聞き手に徹する所存でございます」
略して
「おかか」