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じゆうにのはる(伏せ字)さんのイラストまとめ


12の春,自由に進みたかったなぁ.

mks(📌)被害者の今を,当事者として考えます.

ツイート中,直後に(📌)のある略語(伏せ字)については,固定ツイートをご参照ください.

“ttp…”で始まる英数文字列の冒頭に“h”を挿入すると引用記事のURLになります.

★最終更新 2024/04/18 04:33

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たぶん同じ思いだと感じてますが「やりたい事」に臨む姿勢は人それぞれと思ってます.楽しむ形,自分を彩る形,自分を極める形─それは 画一化されるべきでも,かくあるべしと他者が干渉すべきでもありませんよね.他の競技と同様,高校野球も皆が自分らしい姿でプレーできる様になればと願ってます.

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拒絶しなかった不甲斐なさへの自責だったり時間を逆戻しさせられない無力感だったり皆が持ててるものを自分は奪われた喪失感だったり奪った奴らへの怨念だったり揶揄される体験を刻まれた屈辱感だったり身体に屈辱の履歴が纏わりつく不快感だったり忌まわしい記憶は都度姿を変え不意に襲い掛かってくる

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制度が変わって価値観が変わって善悪の基準が変わって責める側責められる側が入れ替わっても,過去は変わらない.被害者は加害者と全く対極的立場であるにもかかわらず人々の観念の中では過去の理不尽な亡霊とひと括りの存在に位置づけられて理不尽の甘受を責められながら今の現実の中で孤立する.

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小学生の頃の記憶.住んでたのがベタベタなmks地域だったから,中学に入ればmを強要される事は知ってたよ.自分と24時間ずっと一体の顔を奪われる事は子ども心にも嫌だったけど,あまりにイヤ過ぎたので正面から考える事は避けてたんだと思う.でも,もし避けなければ,自分なりの行動起こせたかな?

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〈→続き〉●記者:では,自主的という事なら,髪を伸ばすのも生徒の自由だという事ですね ●教委: ...それは... どんなもんなんでしょうねぇ.....

こんな無責任な了見で生徒を無差別に傷つけているのか! と強烈に衝撃を受け,この遣り取りは今でも鮮明に覚えています.

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12歳の春,散髪屋であんなオーダーを選ばせる圧力を僕がキッパリと振り払って中学に入学してたら,自分の感性はもっと違ったものになってたかも知れないって考えてる.
今でもあの3年間は自分が自分でなかったという感覚が纏わり付いてるよ.あの時期の本当の自分を取り返したい気持ちでいっぱいだ.

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カットしたての髪で新年を迎える人も多いと思うけど,ほかの人と比べて僕は散髪屋に行く頻度が低いと思う.ていうか出来るだけ行かずに済ませられたらという意識がずっとあるよ.
別にかりあげにしてるわけでもないのに,襟足や耳元の髪の毛先をバリカンで整えるのもやめて欲しい.あの音は苦手だよ.

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「mksを政治や行政がやめさせるのは,教育への不当介入に該当し不適切」との考え方が一部の民主的な人達の間にもあったけど,これは大間違いだよ.mksは学校が教育機関としての権限を濫用して教育の名を借りて行ったハラスメント,虐待そのもの.教育への介入の是非は,生徒の人権を基準に考えようよ.

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