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#世界史創作企画
第43回 テーマ【聖人・聖地】
「詩聖」曹植は3世紀中国の人。英雄・曹操の子であり、詩においては倫理における周公旦・孔子(のように偉大)であると絶賛されました。しかし彼自身は詩作よりも政治家や将軍としての活躍を望んでいた節が窺え、兄の曹丕と後継を争うに至ります。
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第40回 テーマ【寒】
羊祜(ようこ)は魏末~西晋の武将。敵国・呉との国境にあり敵将の陸抗とは奇妙な友誼?を結びました。278年11月26日(陰暦)死去。この日は寒い日で、皇帝の流した涙は氷の粒となって髪や衣に散り、巷は慟哭の声に満ち、呉の兵士も泣いたそうです。
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第35回 テーマ【移住】
中国、洛陽陥落後の313年に西晋の懐帝が害されると荀藩・荀組兄弟は甥の14歳の司馬鄴を新帝とし長安に入城します。しかし荀兄弟は道中で叛乱したとして殺され、大将軍・劉琨の奮戦も空しく3年後司馬鄴は前趙の劉聡に投降し殺され、西晋は滅亡します
司馬越
初代皇帝 司馬炎の祖父 司馬懿の弟の孫。皇族の内乱である八王の乱の最終的な勝者であり、暗愚な司馬衷(恵帝)を暗殺後、傀儡の司馬熾を帝位につけ王朝の安定を図ります。が司馬熾の側近や皇子を害したことから対立、病死。高潔な英雄ではありませんが西晋最後の藩屏(帝室の守護者)でした
司馬熾
西晋の懐帝。初代皇帝司馬炎(武帝)の第25子。八王の乱を勝ち抜いた司馬越(東海王)によって傀儡皇帝として擁立されるも次第に司馬越と対立。司馬越誅殺の勅書をだし直接対決寸前まで行くも、司馬越は憂慮から病死。しかし司馬越の死を好機と見た劉聡らに攻撃され捕虜となり、殺されました
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第33回 テーマ【古代】
科斗書(カトショ)
中国、西晋の太康2年に戦国時代の魏の墓から盗掘者によって発見された一群の文献を『汲冢書(キュウチョウショ)』といいます。汲冢書は科斗書という古代文字で記されており、荀勗(ジュンキョク)ら学者が解読校訂しました(続)