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オブリガートでは「罪を犯した者が許されたことで相手を愛さずにいられなくなる」という構図が一気に描かれたけど、これは他のアイドルにも当てはまると思う。
例えば流星隊が燐音を許したことで、燐音は二度と流星隊に手出しできなくなったと思われる。
つくづく「情けは人のためならず」だと思った。
だって、巽に許された要がまさにこれで、要は巽に何もかも許され、愛されてしまったことによって、巽のことを好きになり、助けずにはいられなくなってしまった。
これって、口で謝るよりもよっぽど重い償いをすることになったとも取れる。許された代わりに心を奪われたとも言える。
要が巽の手を取った理由。
要は兄のことも巽のことも尊敬していて、そこに優劣はなかったはず。
違ったのは、兄は独りでも生きていける(ように見えた)のに対し、巽は独りでは生きていけないと思った、ということだけだと思う。
そして、汚い手を使うというのは、巽には性格的な意味でも才能的な意味でも向いていないのだと思います。
足が痛むというのは、精神的な負荷が大きいことの表れです。
また、コメショの千秋同様、悪役の才能がないのにやろうとしたため上手く立ち回れなかったと言えます。
もう一度追憶軸の巽の発言を確認します。Powerという単語が使われていますが、これはフェザータッチやサテライトでも登場し、神=Powerであり、現実を動かす力であると説明されています。そして、そのような力を学ぶという行為により要が獲得したことを、尊敬すると言っているのです。
「信仰心を持っている人」や「宗教関係者」は、信仰を持たない人が多数派の社会においてはマイノリティであり、理解されにくい存在なんだということを教えられた。
多数派と少数派の相互理解の難しさ……あんスタ、すごいところに切り込んでいくな