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巽は要がどん底に落ちた時に声を掛け、裏切るような真似をしても、「汚いやり口」を覚えても、理解しようとし、変わらず「平等に」要のことも愛してくれた。
「既に自分が愛されていることに気付いた」というのは、巽の場合は復帰を望んでくれた多くのファンやスタッフ、要の場合は兄と巽のことです。
兄は要に連絡を取り、夢を応援してくれた。
しかし同時に、要は巽が神ではないことを知っている。巽の理想は神にも近しいが、巽の心身はそれに耐えられない。そして、神ではないので、このままでは死んでしまう。要は「人は死ぬ」ということをよく理解している。
一方の巽は、兄or茨の指示で仕事を横取りする要のことすら肯定してくれる。どんな相手もまず信じようとする巽を、要は「綺麗」と表現している。
「巽先輩」呼びは要の敬意の表れなんだよね。初めは単に年上だからという理由で敬称を付けていたのが、カタコンベで対話を重ねるうちに心からの敬意が込められていったから、巽も「巽先輩」呼びが嬉しかったんだと思う。
現代パートでお兄ちゃんが要を信者だったと言い続けるからそれが真実だったかのように見えるけど、神でも聖人でもなく人を笑顔にするアイドルでありたいと言う巽に共感したから、巽を愛する人が哀しまないように、自分が対等なアイドルになることを決めたんだよ(天罰/第六話)
色彩百花ストバレ
地下にある花畑という設定なのに背景がめっちゃ開けてるので脳がバグる。
三毛縞、何でもできるし何でもしたのに未だ奏汰と友達になれてないんだな……何でもするからこそ拗れてるのだと思うけど……
メインストのこのセリフは「親友にも成り得る(まだ親友ではない)」が正解の模様